はじめに

うつ病の治療では、まずSSRI、SNRI、NaSSAなどの抗うつ薬が使われることが一般的です。これらの薬は多くの患者さんにとって重要な治療ですが、すべての方に十分な効果があるわけではありません。複数の抗うつ薬を十分な量と期間で使用しても、気分の落ち込み、意欲低下、不眠、希死念慮などが残ることがあります。このような状態は、一般に治療抵抗性うつ病と呼ばれます。

治療抵抗性うつ病では、「次にどの治療を選ぶか」が大きな課題になります。単に別の抗うつ薬に変更するだけでよいのか、抗精神病薬や気分安定薬を併用するのか、精神療法を強化するのか、ECT(電気けいれん療法)を検討するのか。近年、その選択肢の一つとして注目されているのが、ケタミン療法です。

ケタミンは、もともと麻酔薬・鎮痛薬として長く使われてきた薬剤です。精神科領域では、低用量の静脈内投与によって、治療抵抗性うつ病に対する抗うつ効果や、希死念慮への速やかな効果が研究されてきました。

本記事では、ケタミン療法のうつ病への効果について解説します。特に、うつ病評価尺度とは何か、希死念慮への効果はどのように考えるべきか、既存の抗うつ薬やECTと比べてどのような特徴があるのかを整理します。

うつ病の「改善」はどのように測るのか

ケタミン療法の研究を読むと、「MADRSが低下した」「HAM-Dが改善した」「反応率が何%だった」といった表現が出てきます。しかし、患者さんにとっては、これらが何を意味するのか分かりにくいかもしれません。

うつ病の臨床研究では、症状の変化をできるだけ客観的に見るために、いくつかの評価尺度が使われます。代表的なものに、HAM-D、MADRS、QIDS-SRがあります。

HAM-Dは、Hamilton Depression Rating Scaleの略で、日本語ではハミルトンうつ病評価尺度と呼ばれます。医療者が患者さんに質問し、抑うつ気分、不眠、不安、身体症状、自殺念慮などを評価する尺度です。点数が高いほど、うつ症状が重いことを意味します。したがって、「HAM-Dが低下した」というのは、うつ症状の重症度が下がった、つまり症状が軽くなったという意味です。

MADRSは、Montgomery-Åsberg Depression Rating Scaleの略で、こちらも医療者が評価するうつ病尺度です。特に抗うつ治療による症状変化を捉えやすいように作られた尺度で、悲しみ、内的緊張、睡眠、食欲、集中力、意欲、悲観的思考、自殺念慮などを評価します。0点から60点までで評価され、点数が高いほど症状が重いと考えます。

QIDS-SRは、Quick Inventory of Depressive Symptomatology Self-Reportの略で、患者さん自身が記入する自己評価式の尺度です。睡眠、気分、食欲、集中力、自己評価、希死念慮、活動性などを自分で評価します。研究だけでなく、日常診療で症状の変化を追うためにも使いやすい尺度です。

また、研究では「反応」と「寛解」という言葉もよく使われます。反応とは、一般に治療前と比べて症状評価点が50%以上下がることを指します。たとえば、MADRSが30点から15点以下に下がれば、反応とみなされることがあります。一方、寛解とは、症状がほとんどない、あるいは非常に軽い状態まで改善することを指します。

患者さんの実感としては、「前より少し楽になった」という段階から、「かなり生活しやすくなった」という段階、さらに「うつ病の症状がほとんど気にならない」という段階まで、さまざまな回復があります。研究上の点数は、この変化を数字として捉えるための道具です。ただし、点数だけで患者さんの苦しみのすべてが分かるわけではありません。数字による評価と、患者さん自身の実感の両方を見ていくことが大切です。

既存の抗うつ薬治療にはどのような限界があるのか

従来の抗うつ薬は、うつ病治療の中心です。SSRI、SNRI、NaSSAなどは、多くの患者さんにとって有効であり、長期的な維持療法や再発予防にも重要な役割を持ちます。

一方で、抗うつ薬には限界もあります。第一に、効果が出るまでに時間がかかることがあります。一般に、抗うつ薬は飲み始めて数日で劇的に変化する薬ではありません。副作用は早めに出る一方で、効果が出るまでには数週間を要することがあります。

第二に、複数の抗うつ薬を試しても、十分な改善が得られない患者さんがいます。2006年のRushらによるSTAR*D研究があります。これは、実際の外来診療に近い形で、うつ病患者に複数段階の治療を行い、どのくらいの人が寛解に至るかを調べた大規模研究です。この研究では、最初の抗うつ薬で十分に改善しなかった場合、次の薬、さらに次の薬へと段階的に進み、最終的4段階まで治療が行われました。

結果として、4段階まで含めた全体の累積寛解率は約67%とされました。しかし重要なのは、治療段階が進むほどその段階での寛解率は低下し、再発率が高くなるという点です。

つまり、最初の抗うつ薬で寛解に至らなかった方、さらに2剤目、3剤目でも十分に改善しなかった方では、抗うつ薬治療で完全に症状が落ち着く可能性は徐々に低くなります。このように、十分量・十分期間の抗うつ薬を複数試しても改善が不十分な状態を、治療抵抗性うつ病と呼びます。

第三に、希死念慮が強い場合には、数週間待つこと自体が大きな問題になります。「死にたい」「消えてしまいたい」という考えが切迫しているとき、2週間後、4週間後の改善を待つこと自体が困難な場合があります。

このような背景から、従来の抗うつ薬とは異なる作用機序を持ち、比較的速やかに効果が出現する治療として、ケタミン療法が研究されてきました。

ケタミン療法は従来の抗うつ薬と何が違うのか

従来の抗うつ薬の多くは、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンといった神経伝達物質に関わります。これらはまとめてモノアミン系と呼ばれることがあります。SSRIは主にセロトニン、SNRIはセロトニンとノルアドレナリン、NaSSAはノルアドレナリンやセロトニン系の調整に関わります。

一方、ケタミンは主にNMDA受容体という受容体に作用します。NMDA受容体は、グルタミン酸という神経伝達物質に関わる受容体の一つです。グルタミン酸は、脳内で最も重要な興奮性神経伝達物質の一つであり、学習、記憶、神経可塑性に関係します。

神経可塑性とは、脳の神経回路が変化する力のことです。うつ病では、自己否定的な考え、反芻思考、意欲の低下、報酬を感じにくい状態などが固定化していることがあります。ケタミンは、NMDA受容体やグルタミン酸神経伝達を通じて、神経回路が変化しやすい状態を一時的に作る可能性があります。

もちろん、これは「ケタミンを投与すれば脳が完全に作り変わる」という意味ではありません。より正確には、ケタミンは、うつ病で硬直した脳内ネットワークに一時的な変化をもたらし、症状が動きやすい時間を作る可能性がある治療です。

この点で、ケタミン療法は既存の抗うつ薬とは異なる治療です。毎日服用して少しずつ変化を待つ抗うつ薬とは違い、医療機関で投与し、投与中と投与後の状態を観察しながら行います。

ケタミン療法のうつ病への効果

ケタミンのうつ病への効果は、主に治療抵抗性うつ病の患者さんを対象に研究されてきました。治療抵抗性うつ病とは、一般に、2種類以上の抗うつ薬を十分に使用しても改善が不十分なうつ病を指します。

Marcantoniらの2020年の系統的レビュー・メタ解析では、2009年から2019年までに発表されたうつ病に対するケタミンの効果に関する論文が総合され、治療抵抗性うつ病に対するケタミン点滴が、うつ症状評価尺度、反応率、寛解率において有効性を示す可能性が整理されました。メタ解析とは、複数の臨床研究をまとめて解析し、全体としてどのような傾向があるのかを確認する研究方法です。一つひとつの研究では対象者数が少なくても、複数の研究をまとめることで、治療効果の全体像を把握しやすくなります。

具体的な効果の程度を理解するには、個別のランダム化比較試験の結果を見ると分かりやすくなります。Murroughらの2013年の研究では、治療抵抗性うつ病の患者さんに対して、ケタミン0.5mg/kgを40分かけて静脈内投与し、比較対象としてミダゾラムという薬剤を用いました。ミダゾラムは鎮静作用を持つ薬で、ケタミン特有の体験だけで治療効果が評価されてしまうことを避けるための「実薬対照」として使われています。

この研究では、投与24時間後のMADRSスコアが、ケタミン群では14.77点、ミダゾラム群では22.72点でした。つまり、投与翌日の時点で、ケタミン群の方がMADRSで約7.95点低い、すなわちうつ症状がより軽い状態だったということです。また、治療反応率、つまり治療前と比べて症状評価点が50%以上下がった患者さんの割合は、ケタミン群で64%、ミダゾラム群で28%でした。

MADRSは0点から60点までの尺度で、点数が高いほど抑うつ症状が重いことを意味します。そのため、約8点の差は、単なる誤差ではなく、患者さんの状態としても意味のある差と考えられます。患者さんの実感に置き換えると、「気分の落ち込みが少し軽くなる」「考えが少し動きやすくなる」「何もできない感じが少し弱まる」といった変化として現れることがあります。

日本人患者を対象にした研究もあります。Ohtaniらの2024年の二重盲検ランダム化プラセボ対照試験では、日本人の治療抵抗性うつ病患者34名を対象に、ケタミン0.5mg/kgを40分かけて静脈内投与し、週2回、2週間の治療が行われました。プラセボ群とは、有効成分を含まない薬剤を投与された比較群のことです。このような比較を行うことで、薬そのものの効果と、治療を受けることへの期待や自然な症状変動を区別しやすくなります。

この研究では、研究に参加した全員を解析対象に含めるintention-to-treat解析では、MADRSの低下はケタミン群で平均8.1点、プラセボ群で平均2.5点でした。統計学的に有意な差があるとは言えない結果でしたが、ケタミン群でより改善がみられる傾向がありました。一方、治療を完遂した患者さんに限ったper-protocol解析では、MADRSの低下はケタミン群で平均9.1点、プラセボ群で平均2.7点であり、ケタミン群の方が有意に大きな改善を示しました。

この結果は、人数としては小規模ではあるものの、日本人の治療抵抗性うつ病患者さんにおいても、ケタミン静注療法が抑うつ症状を軽減する可能性を示した重要な知見です。特に、MADRSで約8〜9点程度の低下がみられたという点は、単に「改善傾向があった」というよりも、症状評価尺度上、一定の大きさを持った変化が確認されたことを意味します。

ただし、これらの研究結果を読む際には、注意も必要です。ケタミン療法は、すべての患者さんに同じように効くわけではありません。大きく改善する方もいれば、部分的な改善にとどまる方、十分な効果が得られない方もいます。また、単回投与で得られた効果は数日から1週間程度で弱まることがあり、反復投与や維持療法、精神療法との組み合わせをどのように行うかが重要になります。

ケタミン療法の特徴は「即効性」にある

ケタミン療法が注目される大きな理由の一つは、即効性です。

従来の抗うつ薬では、効果を判定するまでに数週間かかることがあります。もちろん、早い時期に睡眠や不安が少し変化する方もいますが、抗うつ薬の十分な効果を判断するには、通常2−4週間以上の期間が必要です。

一方、ケタミンでは、投与後数時間から翌日にかけて症状が変化する患者さんがいることが報告されています。これは、治療抵抗性うつ病の患者さんにとって大きな意味を持ちます。長年うつ症状に苦しみ、さまざまな薬を試してきた方にとって、「短い時間で症状が動く可能性がある」ということ自体が、治療選択肢として重要です。

ただし、即効性があることと、効果が長く続くことは別の問題です。ケタミンの効果は、単回投与では数日から1週間程度で弱まることがあります。そのため、実際の臨床では、複数回の投与、維持療法、精神療法、生活リズムの調整などを組み合わせて、得られた効果をどのように保つかが課題になります。

患者さんにとって大切なのは、「1回で完全に治る治療」と考えないことです。ケタミン療法は、急性期の苦痛を緩め、症状が動きやすい時間を作る治療です。その時間を、精神療法や生活の再構築につなげることで、効果を持続させることが重要です。

希死念慮への効果

ケタミン療法の中でも特に重要なのが、希死念慮への効果です。

希死念慮とは、「死にたい」「消えてしまいたい」「生きている意味がない」といった考えを指します。希死念慮は、うつ病の症状の一部として現れることがありますが、単なる気分の落ち込みとは少し違います。そこには、逃げ場のなさ、孤立感、絶望感、心理的な痛み、将来への見通しのなさが関係しています。

従来の抗うつ薬でも、うつ病全体が改善すれば希死念慮が軽くなることがあります。しかし、その改善には時間がかかることがあります。強い希死念慮がある場合、数週間待つこと自体が困難なことも少なくありません。

ケタミンは、希死念慮を比較的短時間で軽減する可能性がある治療として研究されています。Wittらの2020年の系統的レビュー・メタ解析では、精神疾患を持つ成人の希死念慮に対するケタミンの効果が検討され、単回投与によって短期的、特に72時間以内の希死念慮に有益な影響を持つ可能性が示されました。

ここで重要なのは、希死念慮への効果は「抗うつ効果の一部」としてだけでなく、独立した臨床的意味を持つという点です。うつ症状全体がまだ残っていても、「死にたいという切迫感が少し弱まる」ことは、安全性の面で非常に重要です。

たとえば、患者さんの体験としては、次のような変化があり得ます。

「死ぬしかない」という考えの迫力が少し弱まる。
自分の考えを少し外から眺められる。
今すぐ行動に移さなくてもよいと思える。
助けを求める余地が少し出てくる。
明日まで待ってみようと思える。

このような変化は、たとえ短期的であっても、危機的な時間を乗り切るうえで非常に重要です。

ただし、ケタミン療法は自殺予防のすべてを代替する治療ではありません。希死念慮が強い場合には、安全確保、家族や支援者との連携、緊急時の受診計画、必要に応じた入院、薬物療法、精神療法などを総合的に考える必要があります。ケタミン療法は、その中で急性期の苦痛を軽くする可能性を持つ選択肢の一つです。

既存の抗うつ薬とケタミン療法の比較

既存の抗うつ薬とケタミン療法は、単純に「どちらが優れているか」で比べるものではありません。両者は治療の役割が異なります。

既存の抗うつ薬は、日常生活の中で継続しやすく、長期的な治療や再発予防に適しています。毎日内服し、効果や副作用を見ながら調整していく治療です。多くの患者さんでは、抗うつ薬によって症状が改善します。

一方、ケタミン療法は、医療機関で投与し、投与中と投与後に観察を行う治療です。既存の抗うつ薬とは異なる作用機序を持ち、治療抵抗性うつ病や希死念慮の強い状態に対して、比較的速やかな変化をもたらす可能性があります。

抗うつ薬が「土台を整える治療」だとすれば、ケタミン療法は「硬直した状態に変化のきっかけを作る治療」と表現できるかもしれません。抗うつ薬は、毎日の服用を通じて症状の安定化や再発予防を目指します。ケタミン療法は、短期間で症状が動く可能性を利用し、そこから精神療法や生活改善へつなげることが重要になります。

したがって、ケタミン療法は抗うつ薬の単純な代替ではありません。患者さんによっては、抗うつ薬を継続しながらケタミン療法を行うこともあります。逆に、抗うつ薬の副作用が強い場合や効果が不十分な場合には、治療全体を見直す中でケタミン療法を検討することもあります。

大切なのは、患者さんの症状、治療歴、身体状態、希死念慮の切迫度、生活背景、治療目標に応じて、治療法を考えることです。

ECTとの比較から見えるケタミン療法の位置づけ

治療抵抗性うつ病に対する重要な治療として、ECTがあります。ECTとは電気けいれん療法のことで、麻酔下で短時間の電気刺激を行い、脳に治療的な発作活動を起こす治療です。特に重症なうつ病や精神病症状を伴ううつ病、強い希死念慮、拒食や昏迷を伴う状態などで検討されることがあります。

ECTは、うつ病に対して非常に有効性の高い治療として長く使われてきました。ただし、麻酔が必要であり、実施できる医療機関が限られること、治療後に一時的な記憶障害や混乱が生じることがあることなど、身体的な負担もあります。

Anandらの2023年のNew England Journal of Medicine掲載試験、いわゆるELEKT-D試験では、精神病症状を伴わない治療抵抗性大うつ病に対して、静脈内ケタミン療法とECTが比較されました。この研究では、ケタミン群では0.5mg/kgを週2回、3週間、合計6回投与し、ECT群では3週間で9回の治療が行われました。結果として、治療反応率(治療前と比べて症状評価点が50%以上下がること)はケタミン群55.4%、ECT群41.2%であり、ケタミンはECTに対して非劣性であることが示されました。

非劣性とは、「新しい治療が標準治療よりも明らかに劣っていないか」を確認する研究デザインです。つまり、この試験は「ケタミンがECTより必ず優れている」と証明したものではなく、「少なくともこの対象集団では、ケタミンはECTに大きく劣らない」と示したものです。

さらに、Jhaらの2024年のJAMA Network Open掲載二次解析では、ELEKT-D試験のデータを用いて、どのような患者さんでケタミンとECTの反応が異なるかが検討されました。その結果、外来で治療を開始した患者さんや、非常に重症ではなく中等度から重症の患者さんでは、ケタミンの方が改善が大きい可能性が示されました。一方、非常に重症な患者さんや入院で治療を開始するような患者さんでは、ECTが早い段階で有利に働く可能性も示唆されています。

この結果は、治療選択において非常に重要です。ケタミンとECTのどちらが優れている、と単純に言い切れるものではありません。患者さんの重症度、精神病症状の有無、希死念慮の切迫度、認知機能への不安、麻酔の可否、通院可能性、治療への希望によって、適切な選択肢は変わります。

ケタミン療法の安全性

ケタミン療法を考えるうえでは、効果だけでなく安全性も重要です。

ケタミン投与中または投与後には、血圧上昇、脈拍の変化、吐き気、めまい、眠気、ふらつき、解離体験などが起こることがあります。解離体験とは、自分の身体や現実感がいつもと違って感じられる状態です。「自分を外から見ているような感じ」「時間の感覚が変わる」「現実感が薄れる」と表現されることがあります。

多くの場合、これらの作用は一過性で2時間以内に治まることが一般的ですが、投与中と投与後の観察が必要です。特に、血圧が高い方、心疾患がある方、脳血管疾患のリスクが高い方、幻覚や妄想などの精神病症状がある方、依存症の問題がある方では、慎重な評価が必要になります。

また、ケタミンは医療外で乱用されることがある薬剤でもあります。そのため、依存や乱用のリスクを無視することはできません。医療管理下で、適切な用量、適切な間隔、適切な観察体制のもとで行うことが必須です。

長期的な安全性については、まだ十分に分かっていない部分があります。反復投与や維持療法を行う場合、認知機能、尿路症状、肝機能、血圧、依存リスクなどを含めて、継続的に評価する必要があります。

2024年のOhtaniらの日本人対象試験では、ケタミン群で有害事象は多くみられたものの、重篤な有害事象は報告されませんでした。ただし、対象者は34名と少数であり、より長期・大規模な研究が必要です。

ケタミン療法を受けるときに大切なこと

ケタミン療法を検討するときには、まず「自分はどのような目的でこの治療を受けるのか」を明確にすることが大切です。

たとえば、強い希死念慮を短期的に和らげたいのか。
複数の抗うつ薬で改善しなかった抑うつ症状を動かしたいのか。
反芻思考や自己否定から少し距離を取りたいのか。
精神療法に取り組める状態を作りたいのか。

治療の目的によって、投与回数、評価方法、精神療法との組み合わせ、治療後の計画が変わります。

また、治療効果を「その日の気分」だけで判断しないことも重要です。ケタミン療法では、投与直後に変化を感じることもあれば、数回の治療を経て徐々に変化することもあります。反対に、期待したほどの改善が得られない場合もあります。そのため、MADRS、HAM-D、QIDS-SR、PHQ-9などの尺度を使って、治療前後の変化を継続的に見ることが有用です。

さらに、ケタミン投与後の時間をどう使うかも大切です。症状が少し軽くなったタイミングで、生活リズムを整える、睡眠を安定させる、家族や支援者と治療計画を共有する、精神療法で自己理解を深める、といった取り組みを組み合わせることで、治療効果を生活の変化につなげやすくなります。

ケタミン療法は、単に「薬を入れる治療」ではありません。むしろ、苦痛が少し緩んだ時間を使って、回復の方向へ進むための治療計画が重要です。

患者さんにとって、ケタミン療法はどのような意味を持つのか

うつ病が長く続くと、患者さんはしばしば「もう何をしても変わらない」と感じます。複数の抗うつ薬を試しても十分な効果が得られなかった場合、その感覚はさらに強くなります。

ケタミン療法の臨床的な意味は、この固定化した感覚に対して、別の作用機序からアプローチできる点にあります。

従来の抗うつ薬が効かなかったからといって、すべての治療が効かないわけではありません。うつ病は一つの原因だけで起こる病気ではなく、脳内ネットワーク、神経伝達、ストレス反応、睡眠、対人関係、過去の体験、現在の生活環境などが複雑に関わっています。したがって、治療も一つの方法だけではなく、複数の角度から考える必要があります。

ケタミン療法は、その中で、脳の神経可塑性やネットワークの変化を通じて、短期間に症状を変化させる可能性を持つ治療です。特に、希死念慮が強い方、従来の抗うつ薬で改善しにくかった方、反芻思考や自己否定が強く固定化している方にとって、重要な選択肢になり得ます。

ただし、過度な期待は禁物です。ケタミン療法は魔法の治療ではありません。効く方もいれば、十分な改善が得られない方もいます。効果が出ても、その後の維持が課題になることがあります。安全性への配慮も必要です。

そのため、ケタミン療法は、十分な診察、治療歴の確認、身体状態の評価、安全管理、精神療法や生活支援との組み合わせの中で行われるべき治療です。

おわりに

ケタミン療法は、治療抵抗性うつ病に対して、従来の抗うつ薬とは異なる作用機序を持つ治療です。NMDA受容体やグルタミン酸神経伝達、神経可塑性に関わり、比較的速やかな抗うつ効果や希死念慮の軽減効果を示す可能性があります。

既存の抗うつ薬は、うつ病治療の基盤であり、長期的な維持療法や再発予防に重要です。一方で、効果発現に時間がかかり、複数の薬剤で十分に改善しない患者さんもいます。ケタミン療法は、そのような治療抵抗性うつ病に対して、新しい角度から症状を改善させる可能性を持つ治療です。

また、ECTとの比較では、非精神病性の治療抵抗性うつ病において、静脈内ケタミンがECTに対して大きく劣らないことが示されました。一方で、非常に重症な患者さんや入院治療が必要な患者さんでは、ECTが重要な選択肢になる場合もあります。治療選択は、患者さんの病状や希望に応じて個別に考える必要があります。

ケタミン療法を考えるうえで最も大切なのは、「速く効く可能性がある」という点だけを見るのではなく、その効果をどう安全に維持し、生活や精神療法の変化につなげるかです。

うつ病治療の目標は、単にうつ病評価尺度の点数を下げることではありません。患者さんが、苦痛に圧倒される時間を減らし、少しずつ生活を取り戻し、自分の人生を再び考えられるようになることです。ケタミン療法は、そのための一つの重要な選択肢として考えられます。

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参考文献

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