はじめに

ケタミン療法は、従来の抗うつ薬で十分な改善が得られなかった治療抵抗性うつ病に対し、比較的短時間で症状を軽減しうる治療として研究が進められています。しかし、ケタミンが脳のどこに、どのような変化をもたらすことで抗うつ効果を発揮するのかについては、まだ結論が出ていません。

本記事では、2026年にSedeekらが『Journal of Affective Disorders』に発表した「Ketamine-related neural changes in treatment-resistant depression: A multimodal synthesis of fMRI and PET studies」をもとに、治療抵抗性うつ病に対するケタミン療法によって、脳活動や脳内ネットワークにどのような変化が報告されているのかを解説します。

この論文は、新たに患者を募集してケタミンを投与した臨床試験ではなく、これまでに行われたfMRI研究とPET研究をまとめたレビュー論文です。論文の目的は、ケタミンの臨床効果そのものを一つの数値で示すことではなく、異なる脳画像研究に共通する神経学的なパターンを探ることにあります。

治療抵抗性うつ病とは

治療抵抗性うつ病とは、一般に、複数の抗うつ薬を使用しても十分な改善が得られないうつ病を指します。

これは「治らないうつ病」という意味ではありません。薬の選択や服薬状況、併存疾患、心理社会的要因などを再評価したうえで、増強療法、電気けいれん療法、反復経頭蓋磁気刺激療法、ケタミン療法など、異なる作用機序をもつ治療を検討します。

従来の抗うつ薬の多くは、セロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質に作用し、効果を判定するまでに数週間を要します。一方、ケタミンでは投与後数時間から数日という早い時期に改善がみられる患者がいるため、その即効性を説明する脳内変化が注目されてきました。

fMRIとPETでは何が分かるのか

fMRIは「機能的磁気共鳴画像法」の略称です。神経細胞が活発に働くと、その周囲では酸素を含む血液の流れが変化します。fMRIはこの変化を利用し、ある脳領域の活動や、離れた脳領域同士がどの程度連動しているかを、リアルタイムで調べます。特に、計算や瞑想などの課題に取り組んでいる最中の脳活動の変化を調べられることが最も特徴的な検査です。

脳領域同士の連動は「機能的結合」と呼ばれます。ただし、機能的結合が強いことが常に良いわけではありません。うつ病では、特定の領域同士が過剰に結びつき、同じ否定的思考から抜け出しにくくなっている可能性もあります。治療によって結合が強まる場合もあれば、過剰な結合が弱まり、より適切な状態に近づく場合もあります。

PETは「陽電子放出断層撮影」の略称です。ごく少量の放射性物質を含む薬剤を用い、脳内の糖代謝、受容体、神経伝達物質、シナプスに関係する分子などを画像化します。

つまり、fMRIは主に脳活動や領域間のつながりを、PETは代謝や分子レベルの働きを捉える方法です。Sedeekらは、この性質の異なる二つの画像研究を横断的に整理しました。

ケタミンは脳の特定の一部位に作用するわけではない

このレビューで最も重要な点は、ケタミンの影響が、脳の一つの部位だけに限定されていなかったことです。

ケタミン投与後の変化は、皮質下領域で比較的頻繁に報告されていました。皮質下領域とは、大脳の表面よりも内側に位置し、感情、報酬、記憶、動機づけなどに関わる領域の総称です。うつ病でみられる「何をしても楽しくない」「行動を始める力が出ない」「否定的な記憶ばかりが浮かぶ」といった症状には、これらの回路が関与すると考えられています。

一方、脳の表面に存在する大脳皮質では、前頭前野や前部帯状皮質を含む複数の領域に変化が報告されました。しかし、その分布はすべての研究で一致していたわけではなく、検査中に取り組んでいる課題の内容、撮影時期、解析方法によって異なっていました。

この結果は、ケタミンが特定の脳部位を単純に活性化または抑制する薬ではなく、感情、注意、自己認識、報酬、感覚処理に関わる広い回路の働きを、状況に応じて再調整する薬剤であるという可能性を示しています。

前頭前野と前部帯状皮質の役割

前頭前野は、考えを整理する、注意を切り替える、感情を調整する、将来を見通すといった高度な機能に関わります。うつ病では、否定的な情報から注意を離したり、感情を別の視点から捉え直したりする働きが低下することがあります。

前部帯状皮質は、感情と認知をつなぐ位置にあり、苦痛の評価、葛藤の検出、意思決定、行動の切り替えなどに関与します。ただし、前部帯状皮質は均一な領域ではなく、場所によって役割が異なります。そのため、ある研究では活動の増加が改善と関連し、別の研究では過剰な結合の低下が改善と関連することがあります。

一見すると矛盾しているようですが、脳画像の変化は「結合性が上がれば良い、下がれば悪い」という単純なものではありません。どの領域が、どの領域と、どの時点で、どのような課題の最中に結合しているのかを考える必要があります。

重要とされた三つの脳内ネットワーク

Sedeekらが領域ごとの所見をネットワーク単位で整理し直したところ、ケタミン療法にはデフォルトモードネットワーク、腹側注意ネットワーク、視覚ネットワークが関与していると、繰り返し報告されていることがわかりました。

デフォルトモードネットワーク

デフォルトモードネットワークは、外部の課題に集中していないとき、自分自身について考えたり、過去を振り返ったり、将来を想像したりするときに働くネットワークです。

うつ病では、このネットワークの一部が過剰に結びつき、反すう、つまり否定的な考えを繰り返し続ける状態と関係することがあります。ケタミンは、この固定化した自己関連思考の回路を一時的に変化させる可能性があります。

ただし、デフォルトモードネットワークの活動が低下すれば必ず症状が改善する、という単純な関係ではありません。重要なのは、外部の課題に取り組むネットワークや注意を切り替えるネットワークとのバランスです。

腹側注意ネットワーク

腹側注意ネットワークは、予想外の出来事や重要な刺激を検出し、注意をそちらへ切り替える働きに関わります。

うつ病では、注意が内面的な苦痛や否定的情報に偏り、新しい情報へ柔軟に切り替わりにくくなることがあります。このネットワークへの作用は、思考や注意の硬直性が緩む過程と関係している可能性があります。

たとえば、これまで「何をしても無駄だ」という考えだけに注意が固定されていた人が、周囲からの肯定的な働きかけや、自分の状態に生じた小さな変化にも注意を向けられるようになる、といった過程に関係する可能性があります。

視覚ネットワーク

視覚ネットワークは、目から入った情報の処理に関わります。ケタミン投与中には、明るさ、色、形、距離感などの知覚が普段と異なって感じられることがあり、視覚ネットワークの変化は、こうした急性の知覚変容と関係する可能性があります。

ただし、視覚ネットワークの変化が抗うつ効果そのものを生み出しているのか、投与中の一時的な体験を反映しているだけなのかは、現時点では明らかではありません。

知覚変容や解離体験が強いほど治療効果も高いわけではない、というのが現時点で主流な考え方です。脳画像上の変化と主観的な体験、さらに実際の症状改善を分けて検討する必要があります。

「脳のつながりが正常化する」とはどういうことか

ケタミン研究では、しばしば脳内ネットワークの「正常化」という表現が使われます。しかし、これは脳が機械のように壊れており、薬によって完全に元通りになるという意味ではありません。

うつ病では、ある回路が過剰に固定され、別の回路へ柔軟に切り替わりにくい状態が生じている可能性があります。ケタミンは、過剰な結合を弱めたり、不十分な結合を強めたりすることで、脳全体の情報処理をより柔軟な状態へ近づけるのかもしれません。

つまり、ケタミンによる変化は、単なる「脳活動の増加」ではなく、複数の領域が協調して働くネットワークの再調整として理解する方が適切です。

重要なのは、すべての患者に同じ変化が起こるわけではないことです。もともとの脳機能、症状の特徴、併用薬、投与量、投与方法、撮影時期などによって、観察される変化は異なります。

脳画像でケタミンが効く人を予測できるのか

ケタミン療法を受ける前の脳画像から、治療が効く人と効かない人を判別できれば、患者さんにとって大きな利益があります。しかし、現時点では、そのような実用的な検査は確立されていません。

前頭前野、前部帯状皮質、皮質下領域などの活動や結合が治療反応と関連していることを報告する研究はありますが、同じ所見が異なる研究グループで繰り返し確認されているとは限らず、結論は得られていません。

また、集団全体では一定の関連が認められても、それを一人の患者さんの治療選択に使用できるとは限りません。現在のfMRIやPETは、ケタミンの作用を研究するためには有用ですが、通常診療において治療適応や効果を決定する検査にはなっていません。

この研究の限界

論文の著者らは、今回の結果を「仮説を生み出す段階」のものとして解釈すべきだとしています。

その理由は、研究ごとに画像検査の種類、解析方法、安静時か課題中か、ケタミン投与後いつ撮影したかが異なるためです。投与中の急性変化、数時間後の変化、翌日以降の変化は、それぞれ異なる現象を捉えている可能性があります。

たとえば、投与中に撮影された画像には、知覚変容や解離症状に伴う変化が強く反映される可能性があります。一方、翌日以降の画像は、急性の薬理作用が弱まった後に残る抗うつ効果や、ネットワークの再調整を反映している可能性があります。この二つを同じ「ケタミンによる脳変化」として単純に合算することはできません。

また、脳画像研究は一般に参加者数が少なく、偶然の所見や特定の集団に限られた結果が含まれる可能性があります。現時点では、fMRIやPETを撮影すれば、ケタミンが効く人を治療前に確実に判定できるわけではありません。

今後は、投与量、撮影時期、評価尺度、解析方法をそろえた研究を行い、脳回路の変化、分子レベルの変化、実際の症状改善を直接結びつけて検証する必要があります。

まとめ

Sedeekらのレビューからは、ケタミンの作用が特定の一つの脳領域に限られず、皮質下領域、前頭前野、前部帯状皮質を含む広い神経回路に及ぶことが示唆されました。

ネットワークの観点では、自己関連思考に関わるデフォルトモードネットワーク、注意の切り替えに関わる腹側注意ネットワーク、感覚処理に関わる視覚ネットワークが繰り返し関与していました。

これらの所見は、ケタミンが抑うつ気分だけを直接「消す」のではなく、固定化した思考、感情、注意、報酬、知覚の処理を支える脳内ネットワークを広く再調整する可能性を示しています。

ただし、研究間のばらつきは大きく、現在の脳画像所見は、治療効果を確実に予測する検査として使える段階にはありません。

ケタミン療法を検討する際には、脳画像上の理論だけでなく、現在の症状、これまでの治療歴、身体状態、併用薬、期待される利益と副作用を総合的に評価することが重要です。

参考文献

Sedeek N, Rivers C, Williamson L, Asadi A, Grundy JG. Ketamine-related neural changes in treatment-resistant depression: A multimodal synthesis of fMRI and PET studies. Journal of Affective Disorders. 408:121891. 2026.