はじめに
強迫性障害は、単に「心配性である」「几帳面である」という性格の問題ではありません。自分でも不合理だと感じている考えが頭から離れなかったり、その不安を打ち消すために確認、洗浄、数える、祈る、やり直すといった行為を繰り返さざるを得なくなる病気です。英語では obsessive-compulsive disorder と呼ばれ、略してOCDと表記されます。近年では日本語でも「強迫症/強迫性障害」と表記されることがあります。
強迫性障害で苦しんでいる方の多くは、自分の症状についてよく考えています。「こんなことを気にしても仕方がない」と頭では分かっているのに、手を洗わずにいられない。鍵を閉めた記憶があるのに、何度も戻って確認してしまう。人を傷つけるつもりなど全くないのに、突然「自分が誰かを傷つけるのではないか」という考えが浮かび、恐ろしくなる。このような症状は、本人の意思の弱さや性格の問題ではなく、脳と心の両方にまたがる悪循環として理解する必要があります。
強迫性障害の標準的な治療には、SSRIなどの薬物療法と、曝露反応妨害法を中心とする認知行動療法があります。曝露反応妨害法とは、不安を引き起こす状況に少しずつ向き合いながら、いつもの強迫行為をあえて行わない練習をする治療です。たとえば、汚染への不安がある方であれば、治療者と一緒に段階を決めて「少し汚れたと感じるものに触れる」「すぐに手を洗わずに過ごす」という練習を行います。確認強迫であれば、「鍵を一度だけ確認して、その後は戻らない」といった練習を行います。
しかし、標準治療を十分に行っても症状が残る方は少なくありません。SSRIは効果が出るまでに数週間から数か月を要することがあり、十分量を十分期間使用しても改善が限定的な場合があります。認知行動療法も有効な治療ですが、不安が非常に強い時期には、曝露に取り組むこと自体が難しいことがあります。こうした治療抵抗性の強迫性障害に対して、近年注目されている治療の一つがケタミン療法です。
ケタミンはもともと麻酔薬として使用されてきた薬剤です。うつ病、とくに治療抵抗性うつ病に対して即効性のある抗うつ効果が報告されて以降、精神科領域でも研究が進められてきました。強迫性障害に対するケタミン療法は、現時点ではうつ病ほど研究が蓄積されているわけではありません。したがって、「標準治療を置き換える治療」と考えるべきではありません。しかし、小規模ながら、強迫症状が急速に軽くなる可能性を示した研究が複数存在します。
この記事では、強迫性障害に対するケタミン療法について、患者さんにも理解しやすいように、評価尺度の説明から始め、実際の研究でどの程度症状が改善したのかを具体的な数値とともに解説します。
強迫性障害の症状はどのように測定されるのか
ケタミン療法の効果を理解するためには、まず強迫性障害の症状をどのように数値化するのかを知っておく必要があります。強迫性障害の研究で最もよく使われる評価尺度の一つが、Y-BOCSです。正式には Yale-Brown Obsessive Compulsive Scale といい、日本語ではエール・ブラウン強迫尺度などと訳されます。
Y-BOCSは、強迫観念と強迫行為の重症度を評価する尺度です。強迫観念とは、本人の意思に反して繰り返し浮かんでくる不快な考え、イメージ、衝動のことです。強迫行為とは、その不安を打ち消すために繰り返される行動や心の中の儀式のことです。Y-BOCSでは、強迫観念と強迫行為について、それぞれ「どれくらい時間を取られているか」「どれくらい生活に支障が出ているか」「どれくらい苦痛を感じているか」「どれくらい抵抗できるか」「どれくらいコントロールできるか」などを評価します。
Y-BOCSの総点は0点から40点です。点数が高いほど症状が重いことを意味します。0点に近ければ症状はほとんどなく、20点台後半から30点台になると、日常生活、仕事、学業、家庭生活にかなりの影響が出ている状態と考えられます。
研究では、Y-BOCSが35%以上低下した場合を「治療反応あり」と定義することがあります。たとえば、治療前のY-BOCSが30点だった方が35%改善した場合、30点の35%は10.5点ですから、少なくとも約10〜11点低下する必要があります。これは、単に「少し楽になった」という程度ではなく、生活上の支障が目に見えて軽くなる可能性のある変化です。
一方で、Y-BOCSが数点下がっただけでも、患者さん本人にとっては「不安の波が少し弱まった」「確認を我慢できる時間が少し伸びた」と感じられることがあります。研究上の「反応あり」と、本人が感じる意味のある変化は、必ずしも完全に一致するわけではありません。したがって、数値は重要ですが、実際の治療では、点数と生活の変化の両方を見ていく必要があります。
もう一つ、ケタミンの研究でよく使われるのがOCD-VASです。VASとは Visual Analog Scale の略で、症状の強さを0から10などの線上で評価する方法です。たとえば、「今この瞬間の強迫観念の強さを0から10で表すとどれくらいか」と尋ねるような評価です。Y-BOCSは比較的包括的な評価であるのに対し、OCD-VASはその場の変化を捉えやすいという特徴があります。そのため、ケタミン投与中や投与直後の急速な変化を測る研究で使われます。
ケタミンが強迫性障害を改善すると想定される機序について
強迫性障害の薬物療法では、長い間、セロトニン系が重視されてきました。SSRIは脳内のセロトニンの働きを調整する薬です。強迫性障害に対しては、うつ病よりも高用量、長期間の抗うつ薬投与が必要になることもあります。
強迫性障害では、前頭前野、帯状回、線条体、視床などを結ぶ回路が過剰に活性化していると考えられています。この回路は、エラー検出、危険の予測、行動の切り替え、習慣化に関わります。通常であれば、「鍵を閉めた」と確認した後、その行動は完了します。しかし強迫性障害では、「まだ危ないのではないか」「本当に閉めたと言えるのか」という信号が消えにくくなり、確認を繰り返してしまうことがあります。
ケタミンは従来の抗うつ薬とは異なり、NMDA受容体というグルタミン酸受容体に作用します。ケタミンはNMDA受容体を介して神経活動のバランスを一時的に変化させ、その後、シナプスの可塑性、つまり神経のつながりが変化しやすくなる状態に関与すると考えられています。うつ病研究では、この神経可塑性の変化が即効性の抗うつ効果に関係している可能性が議論されています。
強迫性障害においても、脳の「固まったループ」が一時的に緩み、いつもの強迫観念や強迫行為の回路から距離を取れる可能性があります。これはまだ仮説の段階を含みますが、ケタミン投与後に「強迫観念に巻き込まれにくくなった」「考えが浮かんでも、いつもほど切迫感がない」といった変化が報告されることがあります。
ただし、ここで重要なのは、ケタミンが強迫性障害の根本を単独で完全に治す薬だと考えないことです。むしろ、強迫症状の勢いが一時的に弱まったタイミングで、認知行動療法や生活上の行動変容に取り組みやすくなる可能性がある、と考える方が現実的です。
ケタミン療法の強迫性障害への効果
強迫性障害に対するケタミン研究の初期の重要な報告の一つが、2012年のBlochらの研究です。この研究では、治療抵抗性の強迫性障害患者に対して、ケタミン0.5mg/kgを40分かけて点滴投与しました。
この研究で重要なのは、対象となった患者さんが「治療抵抗性」であった点です。つまり、一般的な治療で十分な改善が得られなかった方々です。治療抵抗性の強迫性障害では、症状が長期間続き、日常生活への影響も大きくなりやすいため、新しい治療の可能性が強く求められています。
この研究では、ケタミン投与後の最初の3日間に、強迫症状とうつ症状の両方に統計学的な改善が見られました。しかし、強迫性障害の改善幅は限定的でした。Y-BOCSの改善は最大でも約11%程度であり、事前に定められた「35%以上のY-BOCS低下」という治療反応基準を満たした患者はいませんでした。
この「11%」という数字を具体的に考えてみます。仮に治療前のY-BOCSが30点だった場合、11%の低下は約3.3点です。30点から26〜27点程度に下がる変化です。これは研究上は統計学的に意味があったとしても、臨床的には「大きく改善した」とまでは言いにくい変化です。患者さんによっては一時的に楽になったと感じる可能性はありますが、生活を大きく変えるほどの効果とは限りません。
また、この研究では、うつ症状の改善の方が強迫症状の改善よりも大きいことが示されました。これは重要な点です。強迫性障害の患者さんには、うつ病や抑うつ状態を併存している方が少なくありません。ケタミンによって気分が軽くなり、それに伴って強迫症状への耐え方が変わることはあり得ます。しかし、それが強迫性障害そのものに対する直接的な効果なのか、抑うつの改善を介した二次的な変化なのかは、慎重に見極める必要があります。
この研究から言えることは、ケタミンが治療抵抗性の強迫性障害に対して何らかの急性効果を持つ可能性はあるものの、単回投与だけで十分な治療効果を得ることは難しい可能性が高いということです。
2013年のRodriguezらの研究は、無作為化二重盲検プラセボ対照クロスオーバー試験という形式で行われました。簡単に言うと、患者さんをケタミン群と生理食塩水群に分け、本人にも評価者にもどちらが投与されたか分からない状態で比較する研究です。
対象は、ほぼ絶え間ない強迫観念を持つ成人の強迫性障害患者15名でした。ケタミンは0.5mg/kgを40分かけて点滴投与されました。比較対象は生理食塩水です。
この研究では、ケタミンを受けた患者さんは、点滴中からOCD-VASで測定した強迫観念の強さが有意に改善しました。つまり、強迫観念の切迫感が、投与中あるいは投与直後という非常に早い段階で軽くなったことを意味します。
さらに重要なのは、1週間後のY-BOCSの結果です。ケタミンを受けた8名のうち50%、つまり4名が、Y-BOCSで35%以上の改善を示しました。一方、生理食塩水を受けた7名では、同じ基準を満たした患者は0名でした。
Y-BOCSで35%以上の低下というのは、かなり明確な変化です。たとえば治療前のY-BOCSが30点であれば、35%低下とは約10.5点以上の改善を意味します。30点から19点程度まで下がると、重症域から中等症域へ近づく可能性があります。もちろん、すべての患者さんがこのように改善したわけではありませんが、半数にこの水準の改善が見られたことは、強迫性障害に対するケタミンの可能性を示す重要な結果でした。
ただし、この研究の対象者数は15名と非常に少数です。8名中4名が反応したという結果は有望ですが、数百名規模の大規模試験で再現された結果ではありません。そのため、この研究をもって「ケタミンは強迫性障害に確実に効く」と断定することはできません。正確には、「一部の強迫性障害患者、とくに強迫観念が持続的に強い患者に対して、単回のケタミン点滴が急速かつ少なくとも1週間程度持続する改善をもたらす可能性がある」と表現するのが妥当です。
2016年のRodriguezらの研究では、ケタミン点滴の後に、短期間の曝露を中心とした認知行動療法を組み合わせる試みが行われました。対象は強迫性障害患者10名で、ケタミン0.5mg/kgを40分かけて点滴し、その後、2週間で合計10時間の曝露療法を行いました。
この研究では、ケタミン投与を開始した10名のうち9名が点滴を完了し、8名がY-BOCS解析に含まれました。結果として、Y-BOCSは治療前から2週間後に平均10.75点低下し、4週間後にも平均6.88点低下していました。2週間後には、63%の患者がY-BOCSで35%以上の改善という治療反応基準を満たしました。
この結果は、ケタミン単独の効果というよりも、「ケタミンで強迫症状の勢いが弱まった時期に、曝露療法を集中的に行うことで、改善をより長く保てる可能性」を示しています。Y-BOCSが10点以上下がるというのは、強迫性障害の臨床では意味のある変化です。
強迫性障害の治療では、「不安が完全に消えてから行動を変える」のではなく、「不安が少し弱まった瞬間に、新しい行動を練習する」ことが重要です。ケタミン療法は、そのような治療の窓を一時的に開く可能性があります。
2025年のBeagleholeらの研究では、治療抵抗性の強迫性障害患者を対象に、筋肉注射のケタミンを検討しました。比較対象にはフェンタニルが用いられました。フェンタニルは精神作用を持つ薬剤であり、単なる生理食塩水よりも「何か薬が入った」と感じやすいため、比較対象としての意味があります。
この研究では、ケタミン0.5mg/kg、ケタミン1.0mg/kg、フェンタニル50μgが比較されました。12名が無作為化され、10名が研究を完了しました。対象者の平均年齢は33歳で、治療前のY-BOCS平均は29.9点でした。これはかなり重い強迫症状を示す水準です。結果として、Y-BOCSの低下はフェンタニルよりもケタミンの方が大きく、用量に関連した効果が認められました。ケタミン0.5mg/kgでは投与1〜2時間後にY-BOCSがおよそ13〜14点低下し、24時間後にもおよそ9点程度の低下が残っていました。ケタミン1.0mg/kgでは投与1時間後におよそ15点低下し、24時間後にはおよそ6〜7点程度の低下が示されました。7日後には効果はかなり弱まりましたが、ケタミン0.5mg/kgではなお数点程度の改善が残っているように見えました。
反応率を見ると、24時間後にY-BOCSが50%以上低下した患者の割合は、フェンタニルで10%、ケタミン0.5mg/kgで60%、ケタミン1.0mg/kgで18%でした。Y-BOCSが50%以上低下するというのは非常に大きな改善です。
さらに興味深いのは、ケタミン1.0mg/kgの方が0.5mg/kgより常に優れていたわけではない点です。むしろ24時間後の反応率は0.5mg/kgの方が高く、1.0mg/kgでは解離症状が強く、2名が急性の副作用に耐えられず脱落しました。強迫性障害の患者さんの中には、「コントロールを失う感覚」に強い不安を抱く方がいます。ケタミンによる解離感、浮遊感、現実感の変化は、特に強迫性障害の患者にはより苦痛に感じられることがあります。
この研究からは、強迫性障害に対するケタミン療法では、高用量を追求するよりも、症状改善と副作用のバランスを慎重に見る必要があることが示唆されます。少なくとも現時点では、「量が多ければ多いほどよい」とは言えません。
ケタミン療法に期待できることと限界
これらの研究を総合すると、強迫性障害に対するケタミン療法には、いくつかの特徴があります。
第一に、効果が出る場合には非常に早いことです。SSRIでは数週間から数か月かけて改善を待つことが一般的ですが、ケタミンでは投与中、投与後数時間、あるいは24時間以内に強迫観念の強さが変化することがあります。これは、強迫観念がほぼ絶え間なく続く患者さんにとって、大きな意味を持つ可能性があります。
第二に、効果はすべての患者に出るわけではありません。2012年のBlochらの研究では、Y-BOCSの改善は最大で約11%にとどまり、35%以上の改善を示した患者はいませんでした。一方、2013年のRodriguezらの研究では、ケタミン群の50%が1週間後に35%以上の改善を示しました。2025年のBeagleholeらの研究では、24時間後に50%以上のY-BOCS低下を示した患者がケタミン0.5mg/kgで60%いました。この通り、研究によって結果に幅があるため、ケタミンの効果は患者さんの特徴、併存症、症状のタイプ、治療環境、投与方法によって大きく変わる可能性があります。
第三に、効果の持続期間はまだ十分に分かっていません。多くの研究では、単回投与後の効果は数時間から数日、長くても1週間程度で弱まる傾向があります。2013年のRodriguezらの研究では、1週間後にも一部の患者で効果が続いていましたが、長期的な維持については不明です。繰り返し投与を行うべきか、どの頻度がよいのか、認知行動療法とどう組み合わせるべきかについては、まだ確立した答えはありません。
第四に、ケタミン療法は「強迫行為をしなくても大丈夫だと学ぶ治療」ではありません。強迫性障害の回復には、最終的には曝露反応妨害法、つまり強迫行為を減らし、不確実性に耐える練習が必要です。ケタミンによって一時的に不安や強迫観念が弱まったとしても、その間に何も行動を変えなければ、再び元のパターンに戻る可能性があります。そのため、ケタミン療法は単独で完結するものではなく、精神療法や生活上の練習と組み合わせて考えることが重要です。
どのような患者さんに検討される可能性があるか
強迫性障害に対するケタミン療法は、現時点では第一選択の治療ではありません。軽症から中等症の強迫性障害で、まだSSRIや曝露反応妨害法を十分に行っていない場合には、まず標準治療を検討するのが基本です。
一方で、SSRIやクロミプラミンなどの薬物療法を十分に試しても改善が不十分な場合や副作用が強くて治療を継続できない場合、曝露反応妨害法に取り組みたいが、不安が強すぎて開始できない場合などには、ケタミン療法が検討されます。強迫行為を止める練習は、患者さんにとって非常に勇気のいる作業です。ケタミンによって一時的に強迫観念の切迫感が弱まれば、その期間に小さな曝露課題を行いやすくなる可能性があります。
ただし、ケタミン療法が適さない場合もあります。幻覚や妄想などの精神病症状がある場合、躁状態または躁病の既往がある場合、重い心血管疾患がある場合、血圧管理が不安定な場合、物質使用障害のリスクが高い場合などでは、慎重な判断が必要です。また、妊娠中や授乳中、重い肝機能障害がある場合なども、個別の医学的判断が必要です。
副作用と安全性について
ケタミン療法では、投与中から投与後にかけて、いくつかの特徴的な副作用が起こることがあります。代表的なのは、解離症状です。解離症状とは、現実感が薄れる、自分の体から少し離れているように感じる、時間の流れが変わったように感じる、周囲の見え方や聞こえ方が変化する、といった体験です。
この体験は、患者さんによって受け止め方が異なります。「不思議だが怖くはない」と感じる方もいれば、「コントロールを失う感じがして怖い」と感じる方もいます。強迫性障害の患者さんでは、もともと不確実性やコントロール不能感に敏感な方が多いため、解離体験が不安を強める場合があります。
2025年のBeagleholeらの研究では、ケタミン投与後に解離症状が用量依存的に強くなり、1.0mg/kgを受けた患者のうち2名が急性の解離症状に耐えられず脱落しました。この点は、強迫性障害に対するケタミン療法を考える上で非常に重要です。効果だけでなく、治療体験そのものが患者さんにとって耐えられるものであるかを慎重に評価する必要があります。
その他の副作用として、血圧上昇、心拍数の変化、吐き気、めまい、眠気、ふらつき、頭痛、不安感の増強などが起こることがあります。多くは一過性ですが、投与中は血圧、脈拍、酸素飽和度などを観察できる環境が必要です。治
また、ケタミンには乱用リスクがあります。医療管理下で適切に使用する場合と、自己判断で反復使用する場合は全く異なります。長期的・高頻度・非医療的な使用では、依存、認知機能への影響、膀胱症状などが問題となることがあります。強迫性障害に対する治療として検討する場合には、投与回数、間隔、治療目標、終了基準をあらかじめ明確にすることが重要です。
ケタミン療法と認知行動療法を組み合わせる意味
強迫性障害の本質は、「不安を下げるために強迫行為をすることで、長期的には強迫が強化・維持される」という悪循環にあります。たとえば、鍵の確認を10回行うと、その瞬間は少し安心します。しかし脳は「確認したから安心できた」と学習してしまいます。その結果、次回は確認しないことがさらに怖くなり、9回の確認では安心できなくなります。
曝露反応妨害法は、この悪循環を断ち切る治療です。不安を感じても強迫行為をせずに過ごし、「確認しなくても時間が経てば不安は下がる」「不確実性が残っていても生活は続けられる」という新しい学習を作ります。
ケタミン療法が強迫性障害において意味を持つとすれば、この新しい学習を始めるための一時的な余地を作ることかもしれません。強迫観念の声が少し弱まり、いつもの切迫感が下がった時に、小さな曝露課題に取り組む。たとえば、手洗いをいつもより5分遅らせる、確認回数を1回減らす、頭の中での打ち消しを少しだけやめてみる。このような小さな行動変化を、ケタミン投与後の時期に行うことで、暴露療法を進められる可能性があります。
2016年のRodriguezらの研究では、ケタミン投与後に曝露を中心とした認知行動療法を行うことで、2週間後にY-BOCSが平均10.75点低下し、63%が治療反応を示しました。この結果は、ケタミンを「症状を消す薬」としてだけでなく、「治療学習を進めるための補助」として捉える考え方を支持しています。
ただし、ケタミンを使えば曝露療法が不要になるわけではありません。むしろ逆です。ケタミンによって一時的に症状が軽くなった時期を、どのように使うかが重要です。治療後にただ休むだけでなく、治療者と相談しながら、その人に合った小さな行動課題を設定することが望ましいです。
ケタミン療法を検討する際に大切なこと
強迫性障害に対するケタミン療法を検討する場合、最初に確認すべきなのは、これまでの治療歴です。どの薬を、どの量で、どの期間使用したのか。副作用で中止したのか、効果が不十分だったのか。曝露反応妨害法を受けたことがあるのか。受けた場合、どの程度の頻度と期間で行ったのか。こうした情報がなければ、ケタミン療法の位置づけを適切に判断できません。
次に、現在の症状を具体的に整理することが大切です。強迫観念の内容、強迫行為の種類、1日に費やしている時間、避けている状況、家族を巻き込んでいる行動、仕事や学業への影響などを確認します。Y-BOCSのような尺度を用いると、治療前後の変化を客観的に追いやすくなります。
また、治療目標を現実的に設定する必要があります。ケタミン療法の目標は、「強迫性障害を一回で完全に消すこと」ではありません。より現実的には、「強迫観念の切迫感を下げる」「曝露療法に取り組める状態を作る」「うつ症状や絶望感を軽くする」「生活を立て直す最初の足場を作る」といった目標になります。
治療後の計画も重要です。ケタミン投与後に症状が軽くなった場合、その時間をどのように使うかをあらかじめ決めておく必要があります。治療者と一緒に、当日から数日以内に行う小さな行動課題を設定しておくと、改善を実生活につなげやすくなります。逆に、投与後の変化をただ観察するだけで終わると、せっかくの治療機会が十分に活かされない可能性があります。
まとめ
強迫性障害に対するケタミン療法は、非常に興味深い治療可能性を持っています。2013年のRodriguezらの研究では、ケタミン0.5mg/kgの単回点滴により、1週間後に50%の患者がY-BOCSで35%以上の改善を示しました。これは、強迫性障害に対する薬物療法としては非常に速い変化です。2025年のBeagleholeらの研究でも、筋肉注射ケタミン0.5mg/kgにより、24時間後に60%の患者がY-BOCSで50%以上の改善を示しました。これらの結果は、ケタミンが一部の治療抵抗性強迫性障害患者に対して、急速な症状軽減をもたらす可能性を示しています。
一方で、2012年のBlochらの研究では、Y-BOCSの改善は最大約11%にとどまり、治療反応基準を満たした患者はいませんでした。つまり、研究結果は一貫しているわけではありません。ケタミンはすべての強迫性障害患者に有効な治療ではなく、効果がある場合でも、その持続期間や最適な投与方法はまだ確立していません。
現時点で最も妥当な理解は、ケタミン療法を「強迫性障害を単独で治す治療」ではなく、「治療抵抗性の強迫性障害に対して、症状の勢いを一時的に弱め、認知行動療法や生活の立て直しに入るための窓を開く可能性のある治療」と捉えることです。
強迫性障害の治療で大切なのは、症状を完全に消すことだけを目標にしないことです。強迫観念が浮かんでも、それに従わずに生活できるようになること。不安が残っていても、確認や洗浄を繰り返さずに過ごせるようになること。不安をゼロにするのではなく、不安があっても行動を選べるようになること。これが強迫性障害からの回復において重要です。
関連記事
参考文献
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