はじめに

うつ病では、「悲しい」「気分が落ち込む」といった症状だけでなく、これまで楽しめていたことを楽しめなくなる症状がみられます。音楽を聴いても心が動かない、好物を食べてもおいしいと感じにくい、家族や友人と過ごしても喜びが湧かない、趣味を始めようという気持ちそのものが起こらない――こうした状態は「アンヘドニア」と呼ばれます。

アンヘドニアは、うつ病の中心的な症状の一つです。一方で、治療によって不眠や不安、強い落ち込みが軽くなっても、「何をしても楽しくない」という感覚だけが残ることがあります。そのため、うつ病の治療効果を考える際には、症状全体だけでなく、アンヘドニアがどの程度改善したかを個別に評価することも重要です。

2026年、Walaszekらは、治療抵抗性うつ病の患者さんにケタミンを追加投与した際、アンヘドニアが十分に改善しなかった人にどのような臨床的・社会的特徴がみられたかを検討し、その結果を『Journal of Affective Disorders』に報告しました。本記事では、この2026年の論文をもとに、アンヘドニアの意味、研究方法、具体的な結果、結果を診療でどう受け止めるべきかを解説します。

アンヘドニアとは

アンヘドニアとは、楽しい出来事から喜びを感じる力や、楽しいことを求めて行動する意欲が低下した状態です。

たとえば、以前は好きだった映画を見ても心が動かない、子どもと遊んでも喜びが湧かない、旅行の予定を立てても楽しみだと思えない、といった形で現れます。「楽しいはずだと頭では分かっているのに、感情がついてこない」と表現する患者さんもいます。

アンヘドニアには、体験したときに喜びを感じにくい側面と、楽しさを予測して行動を始める力が弱くなる側面があります。外からは怠けているように見えても、本人の意思の弱さで説明できるものではありません。

また、アンヘドニアは、抗うつ薬の服用中に喜びも悲しみも感じにくくなる副作用である「感情鈍麻」と似ています。アンヘドニアがうつ病そのものによるのか、抗うつ薬の副作用もあるのかを考えるには、症状が始まった時期や薬の変更との関係を丁寧に確認する必要があります。

ケタミン治療はアンヘドニアを改善させる治療として注目されている

今回の研究は、「治療抵抗性うつ病」を対象としています。これは一般に、十分な量と期間の抗うつ薬治療を少なくとも2種類行っても、明確な改善が得られない状態を指します。

ケタミンは、従来の抗うつ薬とは異なる仕組みを通じて、比較的速やかな抗うつ作用を示し、アンヘドニアも改善させる治療として注目されています。しかし、ケタミンを受けたすべての患者さんで、すべての症状が同じように改善するわけではありません。今回の研究は、特に「アンヘドニアが改善しなかった人」に焦点を当てた点に特徴があります。

研究デザインについて

研究では、アンヘドニアの量的評価に「スネイス・ハミルトン快感尺度(Snaith-Hamilton Pleasure Scale:SHAPS)」が使用されました。

SHAPSは、食事、音楽、読書、人との交流、日常的な活動などから喜びを感じられるかを本人が回答する質問票です。一般的には14項目で構成され、得点が高いほどアンヘドニアが強いと判断します。

この研究では、4週間のケタミン治療後にSHAPS得点が治療前より50%以上低下した場合を「反応あり」と定義しました。たとえば、治療前が10点なら、5点以下まで下がった場合に反応ありと考えます。

反対に、得点がある程度下がっていても、低下率が50%未満なら研究上は「非反応」です。つまり、非反応とされた人が全く改善しなかったとは限りません。49%改善しても非反応、50%改善すれば反応ありとなるため、この分類には便宜的な境界があることを理解しておく必要があります。

研究対象患者は、治療抵抗性うつ病で入院していた34人でした。

患者さんは、もともとの標準治療を継続しながら、4週間にわたってケタミンの追加治療を受けました。投与方法は、静脈内投与では体重1kgあたり0.5mg、経口投与では体重1kgあたり2.0~2.5mgでした。

約半数でアンヘドニアが50%以上改善した

34人のうち、SHAPS得点が50%以上低下しなかった人は16人、47.1%でした。反対に、18人、52.9%はSHAPS得点が50%以上低下し、研究上の「反応あり」に該当しました。

この数字からは、4週間のケタミン追加治療によって、半数強ではアンヘドニアが大きく改善した一方、半数近くでは50%以上の改善に達しなかったことが分かります。

本研究は、このアンヘドニアが改善しなかった患者さんにどのような特徴があるのかを調べた点が特徴です。

アンヘドニアが改善しなかった患者の特徴

研究では、年齢や性別を含むさまざまな臨床的・社会的要因が比較されました。そのなかで、アンヘドニアが改善しなかった患者さんの特徴として認められたのが、主に以下の三つでした。

第一は、生涯に経験したうつ病エピソードの回数が少ないことです。一般には、うつ病を何度も繰り返した人ほど治療が難しくなると考えられがちですが、今回の小規模の研究では、過去のうつ病エピソード数が少ない方がアンヘドニアが改善しにくいという結果でした。

第二は、物質使用障害の既往が少ないことです。物質使用障害とは、アルコールや薬物などの使用を制御できず、健康や生活に支障が出る依存症のことです。ただし、この結果は、物質使用障害があるほうがケタミンに反応しやすい、あるいは治療に適しているという意味ではありません。症例数が少なく、偶然の偏りや集団特有の背景が影響した可能性があります。

第三は、独身であることです。非反応群では独身の人が多い傾向がみられました。しかし、婚姻状況は社会的支援の量や人間関係の質を直接測るものではありません。結婚していても孤立している人はいますし、独身でも十分な支援を得ている人はいます。この結果から「独身だから効きにくい」と判断することはできません。

本研究結果の解釈について

「うつ病エピソードが少ない」「物質使用障害がない」といった、一見すると重症度が低そうな特徴が非反応と関連したことは、直感に反するように見えます。

しかし、小規模な探索研究では予想外の関連が現れることがあります。症例数が少ないと、数人の違いが統計結果に大きく影響します。また、対象は入院治療を必要とする治療抵抗性うつ病の患者さんであり、一般の外来患者さんとは背景が異なります。

さらに、関連がみられたことと、非反応の原因であることは別です。独身という情報の背後には、社会的孤立、生活上の負担、支援者の有無など、研究では十分に測定されていない要素があるかもしれません。過去の抑うつエピソード数にも、発症年齢や現在のエピソードの長さなど、別の要因が関係している可能性があります。

したがって、今回の三つの特徴は、治療前にケタミンの有効性を決めつけるための基準ではありません。「この条件に当てはまるから治療を受けても意味がない」と判断する根拠にもなりません。

まとめ

アンヘドニアは、うつ病のなかでも生活の質に直結する重要な症状です。落ち込みが軽くなっても、楽しさや関心が戻らなければ、患者さんは回復を実感しにくいことがあります。

Walaszekらの研究では、治療抵抗性うつ病の入院患者34人が4週間のケタミン追加治療を受け、18人、52.9%でSHAPS得点が50%以上低下しました。一方、16人、47.1%は50%以上の低下に達しませんでした。非反応は、過去のうつ病エピソードが少ないこと、物質使用障害の既往が少ないこと、独身であることと関連していました。

ただし、この結果は小規模な観察研究から得られた関連であり、因果関係を示したものではありません。婚姻状況や過去の病歴だけで、治療の適否を判断することはできません。

今回の研究が示しているのは、ケタミン治療を一律に考えるのではなく、症状ごとの変化と、その人の病歴、生活環境、社会的支援を合わせて評価する必要性です。治療後にもアンヘドニアが残る場合、何が改善し、何が残っているのかを整理し、その後の治療方針を個別に検討することが重要です。

参考文献

Walaszek M., Cubała W. J., Kachlik Z., Pastuszak M., Pastuszak K., Kwaśny A. Clinical correlates of anhedonia non-response to ketamine in treatment-resistant depression. Journal of Affective Disorders. 407. 2026.