はじめに

うつ病では、気分の落ち込みや意欲の低下だけでなく、「頭がうまく働かない」「文章を読んでも内容が入ってこない」「仕事の段取りを組めない」といった認知機能の低下がみられることがあります。また、ケタミンが本来は麻酔薬であり、一時的に意識レベルを低下させる作用を持つことから、ケタミン療法を検討する際にも、「ケタミン治療を繰り返すと記憶力や判断力が悪くならないか」と心配する方がいるでしょう。

本記事では、2026年にChavignyらが『Psychological Medicine』に発表した「Cognitive effects of intravenous Ketamine in treatment-resistant depression: A systematic review」をもとに、治療抵抗性うつ病に対する静脈内ケタミンの認知機能への影響を解説します。この論文は、記憶、注意、情報処理速度、実行機能などを調べた21件の研究をまとめた系統的レビューです。

結論として、治療後に認知機能が悪化したという一貫した証拠はなく、むしろ一部の領域では認知機能の改善が報告されました。ただし、すべての人の認知機能が高まると証明されたわけではなく、長期的な影響も十分には分かっていません。

そもそも認知機能とは

認知機能とは、脳が情報を受け取り、整理し、記憶し、必要な場面で利用する働きの総称です。単に「頭の良さ」を意味するものではありません。

認知機能はいくつかの領域に分けられます。

会話や文章に集中する力は「注意」、情報を一時的に頭に置きながら作業する力は「ワーキングメモリー」、考えや行動を状況に応じて切り替える力は「認知的柔軟性」と呼ばれます。その他、不要な反応を抑える「抑制機能」や、複数の作業を順序立てる「実行機能」、情報を処理するスピードを表す「処理速度」などもあります。

うつ病では、気分が少し改善しても集中力や処理速度の低下が残り、復職や日常生活を妨げる場合があります。

研究デザインについて

本論文が採用した研究デザインである系統的レビューとは、あらかじめ定めた基準に沿って過去の研究を集め、複数の研究結果を整理する研究方法です。

集められた21件の研究の 延べ参加者は約1,100人でした。ケタミン投与量は0.5mg/kgが最も多く、治療回数の中央値は6回、治療期間はおよそ12日間でした。

集められた研究ごとに検査方法や評価時期が大きく異なったため、「認知機能の点数が何点改善したか」という結果は得られませんが、その代わり、改善を報告した研究数が集計されました。

したがって、以下に示す割合は患者さんの改善率ではなく、「改善を示した研究の割合」です。

結果:処理速度は15研究中13研究で改善していた

最も一貫して改善が報告されたのは、処理速度です。

処理速度とは、入力された情報を理解し、適切に反応するまでの速さを指します。書類から必要な情報を探す、質問への返答をまとめる、簡単な作業を一定の速度で続けるといった場面に関係します。

ケタミン治療前後の処理速度を評価した15研究のうち13研究、割合にすると87%で、処理速度の有意な改善が報告されました。改善は複数回のケタミン点滴後にみられることが多く、一部の研究では最終治療から4週間後まで維持されていました。

また、処理速度の改善は、うつ症状の改善だけでは説明できない研究もありました。気分が改善した結果として頭の働きが速くなった可能性だけでなく、ケタミンが認知機能に関係する脳の働きへ、より直接的に影響した可能性も示されています。

結果:ワーキングメモリーは16研究中9研究で改善していた

ワーキングメモリーは、情報を一時的に保持しながら考える働きです。

たとえば、相手の話を聞きながら返答を組み立てる、複数の指示を頭に置いて作業する、暗算の途中経過を覚えておくといった場面で使われます。

ワーキングメモリーを調べた16研究のうち9研究、56%で改善が報告されました。改善は、うつ症状の軽減と並行してみられることが多いという結果でした。

一方、7研究では明確な改善が確認されませんでしたが、一貫して悪化したという結果も示されませんでした。

結果:言語性記憶は13研究中8研究で、視覚性記憶は9研究中4研究で改善していた

記憶には、いくつかの異なる種類があります。

言葉として聞いたり読んだりした内容を覚え、後から思い出す働きは「言語性記憶」と呼ばれます。言語性記憶は13研究中8研究、61%で改善しました。

一方、図形や位置関係、見たものの特徴などを覚える「視覚性記憶」は、9研究中4研究、44%で改善しました。出来事を、その状況や時間的な文脈とともに覚える「エピソード記憶」は、4研究中1研究、25%で改善しました。

このように、記憶に関する結果には領域ごとの差があり、情報処理速度ほど一貫していませんでした。ケタミンによって記憶力全体が一律に改善するのではなく、一部の記憶機能が改善または維持される可能性がある、と考えるのが適切です。

結果:注意力は11研究中5研究で改善していた

注意力を評価した11研究のうち5研究、45%で有意な改善が報告されました。

残る研究でも、治療後の注意力の明らかな低下は示されませんでした。

なお、今回のレビューが主に扱ったのは、ケタミン治療後に測定された認知機能です。点滴中の一時的な感覚や、治療直後の体験そのものを評価したレビューではありません。

したがって、「治療中に眠気や集中しにくさがまったく起こらない」という意味ではなく、治療終了後の検査成績として、注意力が持続的に悪化する傾向は確認されなかった、と理解する必要があります。

結果:実行機能も多くの研究で改善していた

今回の論文で特に注目されているのが実行機能です。

実行機能とは、目的に向かって考えや行動を調整する、いわば脳の司令塔のような働きです。状況に応じて考え方を切り替える認知的柔軟性や、頭に浮かんだ反応をそのまま実行せず、いったん止める抑制機能などが含まれます。

認知的柔軟性は、8研究中6研究、75%で改善しました。抑制機能については、評価した4研究すべてで改善が報告されました。

抑制機能の評価には、ストループ課題という検査がよく用いられます。たとえば、「赤」という文字が青色で印刷されているときに、文字の意味に引きずられず、印刷されている色である「青」と答える課題です。自動的に起こる反応を抑え、必要な情報へ注意を向ける力を測定します。

ただし、抑制機能を調べた研究は4件のみです。4件すべてで改善したことは注目に値しますが、「すべての患者さんで確実に改善する」と結論づけることはできません。

まとめ

2026年の系統的レビューでは、治療抵抗性うつ病に対する低用量ケタミン点滴後に、認知機能が一貫して悪化したという報告はありませんでした。

むしろ、認知機能の改善を報告した研究が多く、その割合は情報処理速度で87%、ワーキングメモリーで56%、言語性記憶で61%、注意力で45%、認知的柔軟性で75%、抑制機能で100%でした。

現時点で、ケタミン点滴を「認知機能を必ず改善する治療」と呼ぶことはできません。しかし、うつ病によって低下した思考の速さや柔軟性、反応を抑える力が改善する可能性があります。

参考文献

Chavigny L.-A., Desbeaumes Jodoin V., Garel N., Sob Ndongo M., Osborne L., Turecki G., Richard Devantoy S. Cognitive effects of intravenous Ketamine in treatment-resistant depression: A systematic review. Psychological Medicine. 56. 2026.