はじめに
治療抵抗性うつ病に対する治療として、近年注目されているものにケタミン療法があります。ケタミン療法は、従来の抗うつ薬とは異なる仕組みで作用し、比較的早い段階で抑うつ症状や希死念慮に変化をもたらす可能性がある治療です。
一方で、重症うつ病や治療抵抗性うつ病に対して、以前から高い有効性が知られている治療に電気けいれん療法、すなわちECTがあります。ECTは、麻酔下で短時間の電気刺激を脳に与える治療であり、日本うつ病学会の発行する「うつ病診療ガイドライン」でも重症うつ病や治療抵抗性うつ病に対する使用が推奨されています。
では、ケタミン療法とECTは、どちらがより有効なのでしょうか。
この問いに答えるのは簡単ではありません。なぜなら、ケタミン療法とECTは、効果が現れるまでの時間や適用される患者層が異なる可能性があるからです。
本記事では、2026年にNikolin S.らがTranslational Psychiatryに発表した系統的レビュー・メタ解析をもとに、うつ病治療におけるケタミン療法とECTの違いを、「時間」という観点から解説します。この論文では、7つの研究、合計731人の患者さんを対象に、ECTと注射経路で投与されたケタミン治療が比較されました。
ECTとはどのような治療か
ECTは、重症うつ病、精神病症状を伴ううつ病、強い希死念慮を伴ううつ病、薬物治療に反応しにくいうつ病などで検討される治療です。
ECTに対しては、「怖い治療」「最後の手段」という印象を持つ方も少なくありません。
しかし、現代のECTは、全身麻酔と筋弛緩薬を用いて行われる医療行為であり、治療中に強い身体的苦痛を感じるものではありません。
もちろん、ECTには注意点もあります。治療後に一時的な記憶障害、認知機能障害、混乱、頭痛、筋肉痛などが生じることがあります。また、麻酔を必要とするため、身体状態の評価も重要です。
一方で、ECTはうつ病に対する非常に有効な治療として長く研究されており、日本国内でも重症の患者さんに広く適応されています。Nikolin S.らの論文でも、ECTは重症または治療抵抗性うつ病に対して特に有効性が高く、寛解率がなんと60〜70%に達することもある治療として紹介されています。
ケタミン療法とはどのような治療か
ケタミンは、もともと麻酔薬・鎮痛薬として使われてきた薬剤です。精神科領域では、低用量の静脈内投与や筋肉内投与などによって、治療抵抗性うつ病への効果が研究されています。
従来の抗うつ薬が、主にセロトニンやノルアドレナリンなどのモノアミン系に作用するのに対し、ケタミンはNMDA受容体やグルタミン酸神経伝達に関わります。その下流で、BDNF、神経可塑性、脳内ネットワークの変化などが起こる可能性があります。
ケタミン療法の特徴は、効果の立ち上がりが比較的早いことです。
投与後数時間から翌日にかけて、抑うつ症状や希死念慮が軽くなる患者さんがいることが報告されています。
ただし、ケタミン療法も万能ではありません。効果の出方には個人差があり、十分な改善が得られない方もいます。また、投与中や投与後には、血圧上昇、眠気、めまい、吐き気、解離体験などがみられることがあります。
なぜ過去の研究では結論が割れているのか
これまでにも、ECTとケタミン療法を比較した研究やメタ解析は複数ありました。
しかし、その結論は必ずしも一致していませんでした。
あるメタ解析ではECTが優れているとされ、別のメタ解析では両者はおおむね同等とされ、さらに別の解析ではケタミンの急性効果が強調されることもありました。Nikolin S.らの論文でも、過去の8つのメタ解析で結果が分かれていたことが指摘されています。
その理由の一つが、評価するタイミングの違いです。
たとえば、ある研究では治療開始から1週間後に評価し、別の研究では4週間後に評価していたとします。
この2つを単純に比較すると、治療の「同じ時点」を見ていないことになります。
ケタミン療法は早い時期に効果が現れやすい治療です。
一方、ECTは複数回の治療を重ねる中で、効果が積み上がっていく治療です。
そのため、「いつの時点で比べるか」を考えずに比較すると、結論が揺れやすくなります。
ケタミンは治療直後から数日の効果が大きく、ECTは治療1週間後からの効果が大きい
Nikolin S.らの2026年の論文の特徴は、ECTとケタミン療法を比較する際に、時間経過を統計モデルに組み込んだ点です。
この研究では、7つの研究、合計731人の治療経過が解析され、ECTとケタミン療法の治療後のよる抑うつ症状の経時的変化変化が比較されました。以下が最も重要なグラフです。
縦軸にはうつ症状の点数(高いほうが重症)、横軸には時間経過が設定され、青い線はECT、緑の線はケタミン治療の経過を示しています。
このグラフを見ると、治療開始直後から数日間は、ケタミン療法の方がうつ症状を早く改善させているように見えます。一方で、1〜2週間を過ぎる頃から、ECT群の改善がより明確になっていきます。治療後半では、ECT群のHDRS-17予測値がケタミン群よりも低くなっており、数週間単位で見るとECTの効果が積み上がっていく傾向が示されています。
つまり、ケタミン療法とECTを比較するときに、「どちらが効くか」だけでなく、「いつ効くか」を考えることが重要と言えます。ケタミン療法は投与後早期の変化、ECTは1〜2週間以降の持続的・累積的な改善という点で、それぞれ異なる特徴を持つ可能性があります。
それぞれの症例にあった治療を選択する必要がある
うつ病治療では、治療に要する時間が非常に重要です。
たとえば、希死念慮が強く、今この瞬間の苦痛をできるだけ早く軽くする必要がある場合には、即効性のある治療が重要になります。
一方で、精神病症状を伴う重症うつ病、生命維持が難しいほどの拒食や昏迷、長期にわたる重症の治療抵抗性うつ病では、より強力な治療効果を期待してECTが検討されることがあります。
ケタミン療法は、外来で実施しやすい場合があり、麻酔を必要としないという利点があります。
一方、ECTは麻酔や設備が必要であり、実施できる医療機関も限られますが、重症うつ病に対する効果の確かさという点では非常に重要な治療です。
したがって、治療選択では、以下のような点を総合的に考えます。
現在のうつ症状の重症度、希死念慮の切迫度、過去の治療歴、身体疾患、麻酔への耐性、記憶障害への不安、通院可能性、費用、患者さん本人の希望です。
同じ「治療抵抗性うつ病」でも、患者さんごとに最適な選択肢は異なります。
この研究の限界
この論文は、時間経過を組み込んでECTとケタミン療法を比較した点で、非常に重要な研究です。
一方で、解析に含まれた研究は7つ、合計731人であり、大規模というわけではありません。また、含まれた研究には、治療方法、投与回数、評価尺度、患者背景に違いがあります。
したがって、この研究だけで「ECTが常にケタミンより良い」と結論づけるべきではありません。
むしろ、治療効果を比較するときには、時間を考慮する必要があるという点が、この論文の最も重要なメッセージです。
患者さんにとって、この研究は何を意味するのか
患者さんにとって大切なのは、治療を「効く・効かない」だけで判断しないことです。
ケタミン療法は、早い段階で苦痛を軽くする可能性があります。
ECTは、数週間の治療コース全体で見ると、より大きな症状改善をもたらす可能性があります。
どちらが適しているかは、患者さんの状態によって異なります。
今すぐ苦痛を軽くすることが最優先なのか。
数週間かけて、より確実な改善を目指すべきなのか。
麻酔を伴う治療が可能なのか。
記憶障害への不安が強いのか。
外来での治療を希望するのか。
これまでどの治療に反応し、どの治療で副作用が出たのか。
こうした情報をもとに、治療を個別に考える必要があります。
ケタミン療法とECTは、どちらも重症うつ病や治療抵抗性うつ病に対して重要な治療です。
重要なのは、どちらかを理想化することではなく、患者さんごとの病状と治療目標に合わせて、適切なタイミングで適切な治療を選ぶことです。
参考文献
Nikolin S., Massaneda-Tuneu C., Brettell L., Loo C.
Time matters for metas: a systematic review and meta-analysis of ect vs ketamine for depression incorporating time.
Translational Psychiatry. 16. 2026.