はじめに

ケタミン点滴は、従来の抗うつ薬で十分な改善が得られなかった治療抵抗性うつ病に対する治療法として注目されています。一方で、ケタミン療法を受ければ、すべての人の症状が同じ速さで改善するわけではありません。最初の数回で明らかな変化を感じる人もいれば、徐々に改善する人、治療を続けても十分な効果が得られない人もいます。

2026年にJanssen-Aguilarらは、実際の専門治療プログラムで静脈内ケタミン治療を受けた209人の診療記録を解析し、うつ症状と不安症状が治療中にどのような経過をたどるのかを検討した論文を『Journal of Affective Disorders』に発表しました。この研究では、平均的な症状改善だけでなく、患者さんごとに異なる「症状の変化の軌跡」に注目しています。

本記事では、この2026年のJanssen-Aguilarらの論文をもとに、ケタミン療法による症状改善の程度、4回治療と6回治療の違い、うつ症状と不安症状の改善速度、そして治療経過を個別に評価する重要性について解説します。

「治療抵抗性うつ病」とは

治療抵抗性うつ病とは、一般的には、適切な種類と量の抗うつ薬を十分な期間使用しても、十分な改善が得られないうつ病を指します。ただし、「治りにくいうつ病」という一つの均一な病気があるわけではありません。

強い不安を伴う人、睡眠障害が中心となる人、意欲や喜びの低下が目立つ人、慢性的な身体疾患や他の精神疾患を併存する人など、症状の組み合わせや生活背景はさまざまです。そのため、同じ治療抵抗性うつ病と診断されていても、ケタミンへの反応の仕方が異なる可能性があります。

今回の研究が重要なのは、患者さんの条件を厳密にそろえた臨床試験ではなく、実際の診療を受けた患者さんのデータを用いた「実臨床研究」である点です。現実の診療では、複数の精神症状や身体疾患を抱えている患者さんも少なくありません。そのような多様性を含むデータは、ケタミン治療を実際に検討する際の参考になります。

研究デザインについて

研究では、治療抵抗性うつ病の成人209人が対象となりました。患者さんは、2~3週間の間に静脈内ケタミンを4回または6回受けていました。

研究者は、治療開始前と各点滴の前に、うつ症状をMADRS、不安症状をGAD-7という評価尺度で測定しました。さらに、症状が治療期間中にどのように変化したかを統計学的に分析しました。

うつ症状を測るMADRSとは

MADRSは、うつ病の重症度を医療者が評価するための尺度です。気分の落ち込みだけでなく、緊張感、睡眠、食欲、集中力、意欲、物事を楽しめない感覚、悲観的な考え、自殺に関連する考えなどを総合的に評価します。点数が高いほど、うつ症状が強いことを示します。

今回の研究では、治療前から症状が50%以上減少した場合を「反応」、MADRSが10点以下になった場合を「寛解」と定義しました。

たとえば、症状が非常に重い人では、点数が半分まで低下して大きく改善しても、なお一定の症状が残ることがあります。これが「反応」です。一方の「寛解」は、症状がほとんどない、またはごく軽い状態まで改善したことを意味します。

不安症状を測るGAD-7とは

GAD-7は、不安や心配の強さを7つの質問で評価する尺度です。過度な心配、心配を止めにくい感覚、落ち着かなさ、いら立ち、リラックスしにくい状態などを確認します。点数が高いほど、不安症状が強いことを示します。

この研究では、GAD-7についても治療前から50%以上低下した場合を「反応」、4点以下になった場合を「寛解」と定義しました。うつ病の患者さんは不安症状を同時に伴うことが多く、気分が多少改善しても、不安や緊張が残ると生活上の苦痛が続くことがあります。そのため、この研究では、うつ症状と不安症状とを分けて追跡しています。

症状の改善経過は4つのパターンに分かれた

分析の結果、MADRSで測定したうつ症状と、GAD-7で測定した不安症状は、いずれも治療期間を通して統計学的に有意に低下していました。偶然の変動だけでは説明しにくい改善の程度だったという意味です。これは多くの研究で示されている効果であり、この結論に新規性はありません。

この研究の大きな特徴は、「グループベース軌跡モデリング」という方法を用いた点です。これは、全員の点数を単純に平均するのではなく、似たような症状経過をたどった人を統計学的にまとめる分析方法です。

たとえば、クラス全体の平均点が「少し改善した」という結果でも、実際には、急速に大きく改善した人と、ほとんど変化しなかった人が混在しているかもしれません。平均値だけでは、この違いが見えにくくなります。

この研究では、うつ症状について4つ、不安症状についても4つの異なる経過のパターンが見いだされました。これは、ケタミンへの反応が一様ではないことを示しています。つまり、治療の早い段階から改善する人もいれば、改善が緩やかな人、症状が残りやすい人もいるということです。

したがって、「1回目で変化を感じなかったから無効」「他の人が早く改善したから自分も同じはず」と単純に判断することは適切ではありません。治療前の重症度と比較しながら、毎回同じ尺度で症状を測定し、その人自身の経過を見ることが重要です。

不安症状は、うつ症状よりも改善が遅く、改善も小さかった

研究では、不安症状はうつ症状よりも改善が遅く、改善の程度も小さい傾向が示されました。

ケタミン治療後に「気分の重さは少し軽くなったが、心配や緊張はまだ強い」と感じる人がいても、必ずしも治療全体が無効という意味ではありません。うつ症状と不安症状では、改善する時期が異なる可能性があります。

また、不安症状が強く残る場合には、ケタミンの回数を増やすことだけが唯一の対応ではありません。通常の薬物療法の調整、心理療法、睡眠や生活リズムへの介入、不安を維持している考え方や行動パターンの整理などを組み合わせることが必要です。

「何回受ければ効くか」より、変化を継続的に測ることが重要

今回の研究からは、すべての人に共通する最適な治療回数を決めることはできませんでした。4回治療群と6回治療群の比較では6回群治療が改善の度合いが大きい傾向がありましたが、明確な優位性は確認されていません。また、6回治療後の長期的な持続効果は、この研究では評価できませんでした。

むしろこの研究が示したのは、患者さんによって治療経過が大きく異なるという事実です。そのため、ケタミン治療では、毎回の印象だけに頼らず、MADRSやGAD-7などの尺度を用いて症状を継続的に確認する「測定に基づく診療」が重要になります。

まとめ

2026年に発表された実臨床研究では、治療抵抗性うつ病の成人209人が2~3週間で4回または6回の静脈内ケタミン治療を受け、うつ症状と不安症状はいずれも統計学的に有意に改善しました。

しかし、症状経過には大きな個人差がありました。うつ症状と不安症状にはそれぞれ4つの異なる経過パターンが確認され、不安症状はうつ症状よりも改善が遅く、変化も小さい傾向が示されました。

6回治療は4回治療より反応率と寛解率が数値上高かったものの、統計的に優位な差は確認されていません。大切なのは、あらかじめ回数だけを固定することではなく、治療前後の症状、生活機能、副作用を継続的に評価し、一人ひとりの経過に応じて治療計画を調整することです。

参考文献

Janssen-Aguilar R., Joseph J., Al-Shamali H., Menzies P., Dunlop K., Jha M., Lin Q., Lou W., Adamsahib F., Mulsant B., Tang V. M., Voineskos D., Blumberger D. M., Kaster T. S., Bhat V. Symptom trajectories and clinical outcomes of intravenous ketamine in treatment-resistant depression: A real-world study using group-based trajectory modeling. Journal of Affective Disorders. 400. 2026.