はじめに
ケタミンは、治療抵抗性うつ病に対して比較的速やかな抗うつ効果を示す治療として研究されてきました。しかし、ケタミンを投与すればすべての患者さんに同じような効果が得られるわけではありません。
そのため近年では、「ケタミンが効くかどうか」だけではなく、ケタミンが効くとき、脳の中ではどのような変化が起きているのかを明らかにしようとする研究が進められています。
2026年、Shahらは『Translational Psychiatry』に、High-order brain interactions during ketamine-induced state changes: A functional marker of response in late-life treatment-resistant depression?という論文を発表しました。
この研究では、55歳以上の治療抵抗性うつ病患者の脳波を解析し、ケタミン投与後に「高次脳相互作用(High-order interactions:HOI)」と呼ばれる脳の情報処理のあり方がどのように変化するのか、さらにその変化が抗うつ効果と関係しているのかを調べています。
今回の記事には、HOI、冗長性、相乗性、O-informationなど、普段の診療ではほとんど耳にしない難しい概念が登場します。
そのため、研究結果だけをすぐに紹介しても、「結局、研究者は脳の何を測ったのか」が分かりにくくなってしまいます。
そこで本記事では、前半をやや長く使って、
- これまでの脳内ネットワーク研究では何を調べてきたのか
- HOIはそれと何が違うのか
- 「冗長性」と「相乗性」とは何を意味するのか
というところから順番に説明します。
そのうえで、研究方法、結果、著者らの考察、研究の限界について解説します。
ケタミンが効くとき、脳では何が起きているのか
治療抵抗性うつ病とは、十分な量・期間の抗うつ薬治療を複数回行っても、十分な改善が得られないうつ病を指します。
ケタミンは、このような治療抵抗性うつ病に対しても抗うつ効果を示すことがあります。
一方、効果には個人差があります。
今回の論文では、著者らは先行研究を踏まえ、治療抵抗性うつ病に対してケタミンを投与した場合、明確な臨床反応が得られる患者はおよそ30〜50%にとどまるとしています。
そこで重要になるのが、
「治療に反応する人では、脳にどのような変化が起きているのか」
という問いです。
もしケタミンが効く人に特徴的な脳波変化を見つけることができれば、将来的には治療効果を予測したり、治療が脳に十分な変化を起こしているかを確認したりできる可能性があります。
こうした客観的な指標を、一般にバイオマーカーと呼びます。
今回の研究でバイオマーカー候補として調べられたものが、「高次脳相互作用(High-order interactions:HOI)」です。
これまでの研究では、DMNやCENなどの脳内ネットワークが調べられてきた
脳は、それぞれの場所が独立して働いているわけではありません。
離れた脳領域同士が協調しながら、一つの機能を実現しています。
たとえば、脳画像研究では、複数の領域がまとまって活動する「脳内ネットワーク」が研究されてきました。
代表的なものとして、
- DMN(Default Mode Network:デフォルト・モード・ネットワーク)
- CEN(Central Executive Network:中央実行ネットワーク)
- SN(Salience Network:サリエンス・ネットワーク)
などがあります。
DMNは、自分自身について考えたり、過去を思い出したり、何もしていないときに内的な思考を行ったりするときに関係するネットワークです。
CENは、注意を向ける、情報を一時的に保持する、問題を解くといった認知機能に関係します。
SNは、自分にとって重要な刺激を見つけ、それに注意を向ける働きに関係すると考えられています。
うつ病では、こうしたネットワーク内部やネットワーク同士の結びつきが変化することが研究されてきました。
ケタミンについても、DMNや前頭前野を含むネットワーク、あるいは脳波のα波やγ波などにどのような変化を起こすのかが研究されています。
今回の研究もこの流れに位置していますが、分析方法が従来とは少し異なります。
従来のネットワーク解析では「2つの場所のつながり」を調べることが多かった
脳内ネットワーク研究では、ある脳領域Aの活動と、別の脳領域Bの活動がどの程度一緒に変化するかを調べる方法がよく使われます。
これを機能的結合(functional connectivity)と呼びます。
簡単にすると、
「Aが活発になるとき、Bも活発になるのか」
という関係を見る方法です。
さらに、
AとB
BとC
AとC
というように、たくさんの組み合わせを調べることで、脳全体のネットワークを描くことができます。
この方法は非常に有用であり、DMNやCENなどの研究でも大きな成果を上げてきました。
ただし、実際の脳は「2つの場所」だけで情報を処理しているわけではありません。
A、B、C、D……という多数の領域が同時に活動しています。
ここで問題になるのが、
AとB、BとCを別々に調べるだけで、本当にA・B・Cが一緒に働いたときの情報処理を理解できるのか
という点です。
この問題を扱おうとするのがHOIです。
HOIとは、3つ以上の脳信号が同時にどのように働くかを見る方法である
HOIは、High-order interactions(高次相互作用)の略です。
名前だけを見ると、DMNやCENのような新しい脳内ネットワークの名前に思えるかもしれませんが、そうではありません。
HOIとは、脳の情報のやり取りを分析する方法・考え方です。
従来型の解析を、
「AさんとBさんはどのくらい同じ行動をするか」
と調べる方法だとします。
HOIでは、
「Aさん、Bさん、Cさんが3人で集まったときに、グループとしてどのような情報処理が生まれるか」
を調べます。
重要なのは、3者の関係が、2者同士の関係を足し合わせるだけでは説明できない場合があることです。
たとえばAとBだけを見ても分からず、BとCだけを見ても分からない情報が、A・B・Cを同時に見ることで初めて現れるかもしれません。
人間の脳には数多くの領域が存在し、それらが同時並行で活動しています。
そのため、HOIは、
「どこがどことつながっているか」だけではなく、「複数の場所が集まったとき、情報がどのような形で構成されているか」
を調べようとする方法だと考えると分かりやすいでしょう。
HOIでは「冗長性」と「相乗性」という情報の使われ方を調べる
今回の論文を理解するうえで最も重要なのが、redundancy(冗長性)とsynergy(相乗性)という2つの概念です。
冗長性とは何か
冗長性とは、複数の場所が同じ、あるいは重複した情報を持っている状態です。
たとえば3人の人がいて、
Aさん:「雨が降っています」
Bさん:「雨が降っています」
Cさん:「雨が降っています」
と全員が同じ情報を持っている状態を考えてみます。
情報は広く共有されていますが、3人を合わせても新しい情報が増えるわけではありません。
これが冗長性です。
「冗長」という日本語には「無駄が多い」という印象がありますが、脳科学でいうredundancyが悪いという意味ではありません。
重要な情報を脳内の複数の場所で共有することには意味があります。
相乗性とは何か
一方、相乗性では、それぞれが別の情報を持っています。
Aさん:「空が暗くなりました」
Bさん:「気圧が急に下がりました」
Cさん:「強い湿った風が吹いています」
それぞれの情報だけでは判断しにくくても、3つを組み合わせれば、
「これから激しい雨が降りそうだ」
という新しい判断が生まれるかもしれません。
このように、複数の情報を組み合わせることで、それぞれを単独で見たときには存在しなかった情報が得られる状態がsynergyです。
脳でも同じように、異なる領域の情報を組み合わせることで、新しい情報処理が生まれる可能性があります。
O-informationとは何か
今回の研究では、この冗長性と相乗性のバランスを調べるためにO-information(O-info)という指標が使われました。
大まかには、
- O-informationが正方向に大きい → redundancy優位
- O-informationが負方向に大きい → synergy優位
と考えます。
さらに著者らはS-information(S-info)も測定しました。
S-informationは、冗長性と相乗性のどちらが優位かというより、複数の信号全体がどれほど強く依存し合っているかを見る指標です。
したがって、
O-info=情報の関係の「質」
S-info=情報同士の結びつきの「強さ」
くらいに理解すると、この論文を読み進めやすくなります。
研究では高齢の治療抵抗性うつ病患者の脳波を解析した
今回の研究は、新しく患者を募集してケタミンを投与した試験ではなく、以前実施されたランダム化二重盲検比較試験のデータを再解析した研究です。
対象となったのは、55歳以上の米国退役軍人で、治療抵抗性うつ病の基準を満たした人たちです。
参加者は現在の大うつ病エピソードを有し、少なくとも2種類の抗うつ薬治療で十分な効果が得られていませんでした。また、後ほど説明するMADRSといううつ病評価尺度が27点以上であることが参加条件とされていました。
最終的に解析されたのは、
- ケタミン群:18人
- ミダゾラム群:12人
の合計30人でした。
ケタミン群では、
- 0.1 mg/kg:3人
- 0.25 mg/kg:5人
- 0.5 mg/kg:10人
に分かれており、いずれも40分かけて静脈投与されました。
比較群にはミダゾラム0.03 mg/kgが40分かけて投与されました。
ミダゾラムは鎮静作用を持つ薬です。
ケタミンでは投与中に浮遊感や現実感の変化などが生じることがあるため、生理食塩水だけを比較対象にすると、患者さんも研究者も「どちらの治療を受けているか」に気づきやすくなります。
そのため、こうした研究では薬理作用のある比較薬を「アクティブ・プラセボ」として使用することがあります。
ケタミン投与前から7日後まで、脳波の高次相互作用を追跡した
研究ではEEG、つまり脳波検査が使われました。
脳波は、頭皮に電極を置いて、脳の神経細胞集団によって生じる電気活動を記録する検査です。
研究では64チャンネルの脳波装置で記録したデータのうち、先行研究との方法をそろえるため15個の電極をHOI解析に使用しました。
そして、2個から15個までの電極の組み合わせについて、高次相互作用を計算しました。実際の解析では、3万を超える電極の組み合わせが評価されています。
α波、β波、γ波、θ波とは何か
脳波にはさまざまな速さの波があります。
今回の研究では、
- θ波:4〜7 Hz
- α波:8〜12 Hz
- β波:12〜30 Hz
- γ波:30〜40 Hz
に分けて解析しました。
「Hz」は1秒間に何回波が繰り返されるかを示します。
したがって、θ波は比較的ゆっくりした波で、γ波は速い波です。
重要なのは、それぞれの周波数帯に単純に一つの心理機能を対応させることではありません。
今回の研究では、
ケタミンによって、それぞれの周波数帯で脳内の情報共有の仕方がどのように変化するのか
を調べています。
安静時脳波については、主に、
- 投与前
- 投与1時間後
- 投与24時間後
- 投与7日後
が解析されました。
つまり、一時的な薬物作用だけではなく、その後数日間に脳の情報処理がどのように変化していくのかを追跡しています。
結果①ケタミン投与後、脳の高次相互作用は時間とともに変化した
まず重要だったのが、安静時脳波の変化です。
ケタミン群とミダゾラム群の違いが最も大きかったのは、投与1時間後のα波のO-informationでした。
この差の効果量は、
Cohen’s d=2.57
でした。
Cohen’s dは、2つのグループがどのくらい違っているかを標準化して示す値です。
一般的には0.2程度を小さい差、0.5程度を中程度、0.8程度を大きな差と呼ぶことがあります。
したがってd=2.57という値は、少なくともこの小規模な研究集団の中では、非常に大きな群間差が観察されたことを意味します。
ただし、この数字は「うつ症状が2.57倍改善した」という意味ではありません。
あくまでHOIという脳波指標について、ケタミン群とミダゾラム群の差がどれくらい大きかったかを示す数字です。
さらに興味深いことに、最も大きな変化を示す周波数帯は時間とともに変化しました。
投与1時間後にはα波、24時間後にはθ波、7日後にはγ波で特徴的な変化がみられました。
また、O-information全体をみると、投与1時間後には各周波数帯で正方向への変化、つまり冗長性が優位になる方向への変化が広くみられました。
解析した多数の電極組み合わせのうち、1時間後には80〜89%が正方向の効果を示していました。
ところが24時間後には、このパターンが反対方向へ移動し、7日後には全体として再びゼロに近づいていました。7日後に比較的残っていたのはγ波の変化でした。
つまり、ケタミンによる脳の変化は、
「薬を投与したら脳が一方向に変化し、その状態がそのまま続く」
という単純なものではありませんでした。
投与直後、翌日、1週間後で、脳内の情報共有のパターンそのものが移り変わっていたのです。
結果②音に反応するときの脳活動でも高次相互作用が変化した
研究では、安静時の脳波だけではなく、Mismatch Negativity(MMN:ミスマッチ陰性電位)も調べられました。
MMNとは、繰り返し同じ音を聞いている途中で少し違う音が入ったとき、脳が自動的に「いつもと違う」と検出するときに生じる脳波反応です。
本人が意識して音を聞き分けようとしなくても生じるため、脳が外界の規則性をどのように予測しているかを調べる方法の一つとして使われています。
今回の研究では、MMNに関連するHOIもケタミン投与2時間後に正方向へ変化し、7日後には反対方向に変化していました。
2時間後にはO-infoの効果量の中央値がd=0.16〜0.17、S-infoがd=0.13〜0.15で、対象となった組み合わせの66〜77%が正方向でした。
一方、7日後にはO-infoがd=−0.28〜−0.33、S-infoがd=−0.41〜−0.45となり、正方向の組み合わせは2〜10%まで減少していました。
安静時だけではなく、外部からの音を処理するときにも、ケタミン後の高次脳相互作用が時間経過とともに変化したことになります。
結果③24時間後のα波の変化が大きい人ほど、7日後のうつ症状が改善していた
今回の研究で、臨床的に最も重要なのがこの結果です。
研究では、うつ症状をMADRS(Montgomery-Åsberg Depression Rating Scale)で評価しました。
MADRSは、精神科医療の臨床研究で広く使われるうつ病評価尺度です。
悲しさ、内的な緊張、睡眠、食欲、集中力、意欲、楽しさを感じる能力、自殺に関する考えなど10項目を評価し、合計0〜60点で表します。
点数が高いほど、抑うつ症状が強いことを意味します。
今回の研究では、投与前から7日後までのMADRSの変化率とHOIの変化との関係が調べられました。
多数のHOI指標について統計解析を行った結果、年齢、性別、BMI、治療前のHOIなどを考慮し、多重比較の補正を行ったあとにも有意だった抗うつ効果との関連は、主に一つでした。
それが、
投与24時間後のα波O-informationの増加
です。
つまりこの研究が示したのは、
「ケタミン投与24時間後にα波の冗長性がより大きく増加していた人ほど、7日後のうつ症状の改善も大きい傾向があった」
という関連です。
一方、γ波やθ波などにも候補となる関連はみられましたが、多重比較を補正すると統計学的に明確とはいえませんでした。
したがって、この研究から「HOI全般がケタミンの効果を予測する」と結論づけることはできません。
著者らも、24時間後のα波O-informationを探索的なバイオマーカー候補として慎重に位置づけています。
結果④ケタミンによる解離症状にも、異なる脳ネットワーク変化が関係していた
ケタミン投与では、一時的に、
- 自分の体から離れたように感じる
- 周囲が現実ではないように感じる
- 時間や空間の感じ方が変わる
といった解離症状が起こることがあります。
今回の研究では、こうした症状をCADSS(Clinician-Administered Dissociative States Scale)という尺度で評価しました。
CADSSは、ケタミン研究でもよく使われる、医療者が解離症状の程度を評価する尺度です。
HOIとの関連を調べたところ、解離症状については抗うつ効果よりも多くの指標が統計学的に残りました。
24時間後の、
- α波 O-info:β=6.10、q=0.007
- α波 S-info:β=5.48、q=0.019
- β波 O-info:β=34.11、q<0.001
- β波 S-info:β=6.00、q=0.002
が解離症状との関連を示しました。
ただし、ここから、
「解離症状が強ければ強いほどケタミンが効く」
と結論づけることはできません。
抗うつ効果との関連で多重比較補正後に残った中心的な所見は24時間後のα波O-infoでしたが、解離症状との関連ではα波とβ波のO-info・S-infoが関係していました。
つまり、抗うつ効果に関連する脳の変化と、解離症状に関連する脳の変化には重なる部分がある一方、完全に同じ現象とは考えにくい結果でした。
結果の解釈:ケタミンは脳の情報処理を一時的に再編している可能性がある
では、この一連の結果は何を意味するのでしょうか。
著者らが注目したのは、投与1時間後に脳全体で冗長性が増加したことです。
冗長性が増えるということは、複数の脳領域により重複した情報が広く共有されるようになった可能性があります。
通常、脳では上位の領域から下位の領域へ情報処理を制御する「トップダウン」の働きがあります。
これによって私たちは、過去の経験や予測を利用しながら、入ってくる情報を効率よく処理できます。
一方で、こうした上位からの制約が一時的に弱まれば、普段とは異なる情報同士が影響し合いやすくなる可能性があります。
著者らは、ケタミン投与後のHOI変化が、こうした脳内の階層的な制約が一時的に緩む状態と整合する可能性を議論しています。
ただし、今回のHOI解析では情報が「どちらからどちらへ流れたのか」を測ることはできません。
したがって、
「ケタミンによってトップダウン制御が低下したことが証明された」
わけではありません。
ここは、研究結果と仮説を分けて理解する必要があります。
研究で直接示されたのは、
ケタミン投与後に、複数の脳波信号の情報共有の構造が大きく、しかも時間依存的に変化した
ということです。
その変化をどのような脳機能として解釈するかについては、今後さらに研究が必要です。
HOIはケタミンが効く人を見分ける新しいバイオマーカーになる可能性がある
今回の研究で特に興味深いのは、HOIが単なるケタミンの薬理作用を示すだけでなく、その後の抗うつ効果とも関連したことです。
従来の脳内ネットワーク研究では、
「どの領域とどの領域が強く結びついているか」
という関係が主に研究されてきました。
HOIを利用すると、
複数の脳領域が共同して、情報をどのように共有・統合しているのか
という別の側面を評価できます。
さらに今回の研究では、もともと64チャンネルで記録した脳波のうち15電極を用いた比較的少数の電極構成でもHOIを捉えることができました。
著者らは、将来的には安価な無線EEGなどでも利用できる可能性に言及しています。
もし大規模な研究でも同じ結果が再現されれば、
「投与翌日の脳波を見ると、その後ケタミンが効きやすいか分かる」
といった臨床応用につながる可能性があります。
しかし、現時点ではそこまで進んでいません。
今回の結果から分かるのは、
24時間後のα波のHOI変化が、治療反応を捉えるバイオマーカー候補になり得る
という段階です。
現在の診療でHOIを測定して、ケタミン治療の適否や継続を判断できるわけではありません。
今回の研究には少人数・単回投与などの限界がある
今回の研究結果は興味深いものですが、かなり慎重に解釈する必要があります。
第一に、対象者が少数です。
解析対象はケタミン群18人、ミダゾラム群12人でした。
さらに経過中に脱落があり、ケタミン群でも24時間後は16人、7日後は15人、ミダゾラム群では7日後には9人まで減っています。
特に治療効果とHOIとの関連はケタミン群だけで解析されているため、非常に少人数の探索的結果です。
第二に、55歳以上の米国退役軍人を対象としており、男性が多い集団でした。
若年者、女性、一般の外来患者などでも同じ結果が得られるかは分かりません。
第三に、ケタミンは1回だけ投与されています。
実際のケタミン治療では複数回投与する治療法も用いられます。
反復投与を行った場合にHOIが同じように変化するかは、この研究からは判断できません。
第四に、ケタミン群には0.1、0.25、0.5 mg/kgという異なる投与量が含まれています。
著者らは用量による明確なHOIの差が確認されなかったためまとめて解析していますが、対象人数が少ないため、小さな用量依存性を検出できなかった可能性があります。
第五に、HOIには方法そのものの限界があります。
HOIは「複数の信号にどのように情報が分布しているか」を調べることはできますが、
情報がどちらの方向へ流れているのか
までは分かりません。
さらに、脳波は頭皮から測定するため、fMRIなどと比較すると脳内の正確な位置を特定する能力には限界があります。
最後に、非常に多くの電極の組み合わせから特徴的なものを探索しています。
研究者らは統計的な多重比較補正などを行っていますが、少人数で多数の候補を調べる研究では偶然の関連が入り込む可能性があります。
著者ら自身も、抗うつ効果との関連については探索的な所見として解釈すべきだとしています。
まとめ|ケタミン研究は「どこがつながるか」から「脳全体で情報をどう作るか」へ進みつつある
今回の研究では、治療抵抗性うつ病患者にケタミンを投与し、その前後の脳波をHOIという新しい方法で解析しました。
HOIは、DMNやCENのような新しい脳内ネットワークの名前ではありません。
従来の、
「脳領域Aと脳領域Bがどの程度つながっているか」
という解析を超えて、
「3つ以上の脳信号が集まったとき、情報がどのように共有・統合されるのか」
を捉えようとする分析方法です。
今回の研究では、ケタミン投与1時間後に特にα波の冗長性が大きく変化し、ケタミン群とミダゾラム群の最大差はCohen’s d=2.57でした。
さらに、24時間後のα波O-informationの増加が大きい患者ほど、7日後のMADRSによるうつ症状の改善も大きいという関連がみられました。
一方、その関連は多数のHOI指標すべてに認められたわけではなく、多重比較補正後に中心的に残ったのは24時間後のα波O-informationでした。
したがって、
「ケタミンが効く仕組みがHOIによって解明された」
あるいは、
「脳波を測れば誰にケタミンが効くか予測できるようになった」
と結論づけるのはまだ早い段階です。
それでも今回の研究は、ケタミンによる脳変化を理解する視点を一つ広げています。
これまでの脳内ネットワーク研究では、「どの領域とどの領域がつながっているのか」が主な問いでした。
HOIではさらに、
複数の脳領域が共同するとき、情報そのものがどのような構造で共有されているのか
という問いを扱います。
ケタミン投与後には、この情報構造が投与直後、24時間後、7日後と時間を追って変化していました。
そして、その一部がその後の抗うつ効果とも関連していました。
まだ小規模な探索的研究ではありますが、将来的にケタミンの治療反応を客観的に捉えるバイオマーカーを考えるうえで、HOIという考え方は興味深い研究領域の一つといえるでしょう。
参考文献
Shah K, Herzog R, Swann AC, O’Brien B, Balakrishnan R, Mathew SJ, Murphy N. High-order brain interactions during ketamine-induced state changes: A functional marker of response in late-life treatment-resistant depression? Translational Psychiatry. 16(1). 2026.